2018年1月20日土曜日

コラムニストの気持ち

夜になるとよく嫁さんに聞くことがあります。曰く「今日のブログ何書こう?」と。

私はコラムニストではないので、それで生計を立てている訳でもありません。また万一こんな糞ブログが書けなくても誰も困りませんので問題は無さそうなのですが、その日付け周辺で起きた出来事や自分自身の考え方等を記録していくという作業を続ける事自体は10年程前にちょろっと考えた以上に自分を縛る様になってきております。

実際に文章を書くことによってお金を頂く仕事、売文はしておりませんので、締切もなければ誰かに対する責任もないと言えば”それまで”なのですが、こうやって十年以上続けてやっていると「書かなアカン」という一つの決まりみたいな感じになってきてしまいます。

まあ、やがては病気で書けなくなったり、耄碌して認知機能障害でわけのわからん文章を書き殴ったり(現時点でもわけのわからん文章で、誤字脱字も多々ありますが!w)、死んでしまって突然ブログがアップされなくなったり・・・なんていうことも”人として生きている限り”当然起きてくるのですが、とりあえず今のところはなにがしかの文章を書くということが日々の習い性となってしまっています。

その程度のつまらない日々の備忘録をアップすることでさえナカナカに大変なのに、締切に追われて居るコラムニストや文筆家は更に中身の質の高さや正確さ、面白さまで要求される日々な訳ですから、どれほどプレッシャーがかかっているのかを考えると何だか気の毒になります。

得意のはずの文筆業で物書きとして生計を立ているとは言っても、いつもいつもスラスラ中身が出てくる人ばかりでもないでしょうし、書いた文章の内容によっては世間の皆様から非難轟々の状況に追い込まれるようなこともあるわけですから、私のように”誤字があろうが脱字があろうが、適当に書き散らして終わり”というわけには参りません。w

おまけにそういった人々は書く文章で生計を立てているわけですからね。その書く内容に対する真摯さの度合いは普通に考えて私の数百倍かと・・・。書けなくなったら人生自体が終わりというのは、本来は大好きかつ得意なはずの”物書き”が逆に自分を追いかけているような状態にあなっているわけで、これは実際のところ怖い話だとも思えるんですが、プロの皆さんはどういう日々を送られているんでしょうか・・・。

文章を書くという行為の重みは立場によって本当に異なるもんだろうなとちょっと考え込んでしまうのでした。

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