2017年3月31日金曜日

仕事にならない・・・

鼻水がツルツルと出続けて仕事になりませんでした。

クレヨンしんちゃんのキャラクターの一人であるボーちゃんのようにズルズルの状態で、鼻をかんでもかんでもノンストップで液体が出続けるという感じで、我ながら「一体この水状の鼻水どこから湧いて出てくるんでしょう?」と感じるほどのものでした。

最初のうちは院内に据え付けてあるペーパータオルで鼻を押さえるように拭き取っていたのですが、こんなことを繰り返していては最後にはお鼻が”トナカイさん状態”になる気がしてきたので、途中からティッシュペーパーに切り替えて鼻の穴の中を抑える感じで水洟を吸収させていました。w

マスクをしていてもくしゃみは出続けるし、あまりにも頻回に鼻水を拭き取らざるを得なくて患者さんの居ないところではマスクを外して仕事を続けておりました。それも次のレベルに行くと鼻水がマスクに着く事態にまでなってマスク自体を交換する羽目に・・・。

なんだか事態が悪化してきたので、昼の段階で外来に飛んでいって副院長先生にフェキソフェナジン錠とオロパタジン点眼液を処方していただき直ぐに使用しました。前回のザイザルでは眠くて仕事にならなかったので、今回はフェキソフェナジンにしてもらいましたが、比較的早く効いてきて眠気もない感じで午後遅くからは効いてきた感じでした。

まあ、この一ヶ月の間ほぼ毎日のように発表される花粉量の情報は”非常に多い”ばかりでしたので、流石に鈍感な私も感作されてしまったのでしょうか。

この前はそんな私を笑っていた男性看護師さんも今日はまるっきりおんなじ症状でこちらも鼻水を垂らしながらお互いに笑い合う始末でした。

はあ、早くこの季節過ぎんかな〜。

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2017年3月30日木曜日

日本人による研究

二日前にここに記しました私の記事に対して匿名さんからのコメントがありましたが、ナルホドというようなコメントだと感じました。そのコメントに対しては”今の時点”で私の考えていることを書き付けておくのは後々の比較のためにもよい事かと考えましたので、私見、これからの出来事への予想なども含めて書こうと思います。

匿名さんのコメントに一つ一つ答える感じで・・・。

学術誌に掲載された日本の研究者による論文数が減っていて、このままでは世界トップクラスの座から落ちてしまうだろう・・・という分析結果をイギリスの科学誌Natureが発表した、という報道を見て、このままじゃ駄目だなあと思っていたところです。(『論文数減少「日本の科学研究が失速」…英誌警鐘』 2017年3月24日読売新聞)
大学生の海外留学もOECD加盟国中で下から数えたほうが早く、中国や韓国と圧倒的な差があると言われていますね。

実際に今の日本の科学に対する擁護というものは一切するつもりもないですし、私自身が”日本の”科学の世界からは少なくとも15年は離れておりましたので、日本の科学に関してアレコレ言うことは出来ません。しかし、世界の科学の俊英達が集まるアメリカという国においてそれだけの期間にわたって日本人がアメリカとの間でどういう風に科学を進めて来ていたのかというのは見てきたつもりですので、それを所感として正直にちょこっと書こうと思います。

上に書かれた韓国に関しては以前も書きましたので、二度三度というつもりは無いのですが、手短に言えばあの国は特殊で、アメリカに必死で来る皆さんの多くは実質的には「国外への脱出者」です。無論、アジア的な努力を重ねての出国ですからテストの勉強に関しては比較的よくデキる人が多いと言うのが正直なところですが、研究などを見ていてもスマートというよりも素早く結果を出すことが出来る実験を選ぶ人が多い印象を持っています。(テスト勉強の延長ですね。)オリジナリティが有るかと問われると・・・後はご想像におまかせします。
ただ、帰る所がないという意味では日本人とは少し切迫感が異なるのは確かで、アメリカで生活者として根付くしか選択肢が無いという点において生命力が違います。学生のうちは徒党を組んで大学内をウロウロするのは圧倒的に韓国人が多いというのは私の長女の観察です。

あれだけ人口の少ない国から実質的に恐ろしい数の中韓の人間が米国に来ているのを見ると、内心”Yellow Peril”を脳裏に浮かべる白人がいるのもまあ頷けない話でもないかなと感じたりはしますが、私自身はアジア人なのでそこらあたりは微妙です。

圧倒的なのは中国人とインド人。彼らは馬鹿も多いけどスマートな人間も多いし何よりもプレゼンス(押し)の強さが半端ない。もうウンザリするくらいの輩もいます。勿論、物腰柔らかくて異常にスマートな奴も居ますからやはり確率論というのは正しくて、母集団が多いと賢い人間も当然数が多いのですね。w

上記のアジア数か国に限って言えば、申し訳ないですけど経済的にはまだまだ平均的所得の低い国からの”実質的な移民の流れ”だと思っています。日本が戦前に集団で政府後押しレベルの移住を行っていたような経済格差の一挙解消を狙ったような一発逆転海外移住組が、ハングリー精神を以てアメリカという国で成功をつかもうと大挙してなだれ込んでくる訳ですから、今の日本のように一度繁栄を経験し、だるい生活をしていても取り敢えずはその日暮らしは出来てしまう国の人が勝てるわけがありません。

一言で言えば浸透圧の差だと思います。

いまは大隈氏をはじめとする諸先輩方の努力の結果、日本人がノーベル賞を受賞していますが、このままでは今後は厳しいのかも知れません。そのノーベル賞受賞者の皆さんも、海外に出て行って研究した結果そうなったという人が多いような・・・?
山中伸弥氏など、日本では研究資金が少ないため研究用マウスの世話も自分でしなくてはいけないが海外ではそうではなくて研究に没頭できるとおっしゃっていたような気がします。(記憶違いだったらすみません)

たしかに、この数年毎年のように連続してノーベル賞を受賞している素晴らしい”受賞”の状況ですが、私自身はこの賞の初期の胡散臭さや、確実に日本人受賞者がとるべきだった賞が戦前戦後の人種差別や陰謀で消された恥ずべき過去を隠し続けたままにしておりますので、権威付けという意味では世界最高なのでしょうが、それが全てでも無いことは研究者なら誰でもわかると思います。


今の研究の世界では特許との絡みもあり、素晴らしい発見や真実が特定の集団に囲われたまま世に出ていないものは沢山あります。そういう意味では21世紀はますます表舞台には出てこない優れた研究者(集団)が発見の数年後に表に出ていって華々しく受賞されるのをじっと見つめ続ける機会が増えていくのかもしれません。

また、お金を潤沢に使った研究分野はクズもダイヤもごった煮のように沢山研究が出てきてその裾野が広がりますので、実は今沢山受賞している日本の研究者の研究の一部はあのバブルの頃の正の影響もゼロでは無いと考えたりすることがあります。

日本の研究は高級車を買ってガソリン代は出さずみたいなところがあって、研究施設や設備を動かすためのマンパワーという最も大切な潤滑油と燃料部分に金を使うことが出来ない硬直化した予算制度のせいで、多くの税金が不必要に無駄になっていると感じています。ソフトパワーにカネを使うことを認めさせることが出来なければ文科省その他の今後の予算の投資効率は日本の生産性同様に世界標準とは大きく異なるものであり続けるだろうと思います。

また、私自身は日本人が正直にデータを取ろうとする人が多いことにも強い信頼感を持っていますしそのディティールへのこだわりは正にも負にも科学の研究において影響を及ぼしていると思いますが、人的資源の減少は”派手な賞の受賞”という意味では今がピークなのかもしれません。仰るように今後はノーベル賞の受賞者は減っていくものと思われます。日本にとっては残念ながら今が結構な華の時期だと言う”感じ”は私も抱いております。
しかし、今後とも数学その他の伝統的に日本人が強いエリアにおいては世界的に重要な貢献は続くと睨んでおります。

アメリカなど海外では企業や(お金持ちの)個人からの寄付が多いのか、政府がお金を出しているのか、その両方なのかわかりませんが、予算面で日本より苦労が少ないと聞いたこともあります。

予算獲得と言うステップで苦労が少ないということは事実としては実際の所”そんなことは無い”と思いますが、個人レベルで研究というものに篤志家が寄付をしてくれる件数も額も多いのは間違いないです。しかし、あくまでNIHやDARPAなどからの予算が本筋で、財団等からの資産も勿論日本よりかは遥かにデカイのですが、やはり政府の金が遥かに
デカイんですよ。
篤志家などからの資産の寄付や財団の設立は日米の税金のシステムの違いのせいでしょう。国の税調の皆さんがもう少しマトモな頭脳をお持ちでしたら、個人や企業の資産や税の寄付はドコっと爆発するんでしょうが、それをあの人達に求めるのはあと100年は無理かも?w

生活保護受給者が増え続けていて社会保障費がかさんでいるけど、学術研究費や教育のための予算(志ある優秀な学生への給付型奨学金など)を出し惜しんでいては日本はじり貧ですよね。
資源が少ないのだから人材を育てないとね。

ここは100%賛成です。ものごとを創造する方向にお金を使わない国は滅びると思います。しかしまあ、日本という佳き国が滅びるのは誠に誠に残念なのですが、それに代わって勃興してくれる国も百年間くらいは世界の進展に貢献してくれるのではないでしょうか。日本がそうであったように・・・。

韓国も然り、そして中国も然り、ロングレンジで見つめたら永遠に発展し続ける国など今のところどこにもない事はたった数千年の歴史が嫌というほど証明しているような気がしますが、皆様のお考えは如何でしょうか。

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2017年3月29日水曜日

嫁さんの誕生日

今日は嫁さんの4X回目の誕生日でした。

彼女が二十歳になってすぐ位の時に医学部のある教室で見かけたのが全ての始まりでした。以来、アッと言う間に28年。(歳バレ?w)彼女との間に子供が三人もできてその一番下の子供は既にアメリカ人かつこの秋には大学に進学しようとまでしております。

知り合って此の方、こうやって過ぎ去った過去の時間を振り返ると本当に喜び多く、哀しみちょこっと、笑いが大量、怒りはソレナリ・・・の28年でしたが、お互いに楽しい思い出を刻んできた四半世紀プラスアルファだと思っています。

何よりも良かったのは誰一人家族の中で大怪我をしたり病に侵されるものが出なかったということでしょうか。これからもそういった状況が続くと良いなって願っています。無論、我々夫婦も私をトップバッターとして老いてはいきますが、体が動かなる前にいつの日にかきっと娘達が新たな生命を宿して我々に孫を見せてくれるのではないかという密かな期待を胸に二度目の育児ができる日を実は虎視眈々と狙っております。

娘達の言動を聞く限りではどうやら心配しなくても大量の孫をジジババに”押し付けて”夫婦の活動をするらしいので、その時期を”困った素振り”を見せながら楽しめる日が来ないかなって待ってるんですけどね。w

結婚前には私と一緒になることで、アメリカでこんなに長く生活をするなんて、しかも逆単身赴任の夫を日本に先におくって自らがアメリカの家を守るなんてこれっぽっちも夢想だにしなかったはずですが、本当に良くやってくれていると心の底から感謝するとともに強くなった(成ってしまった???)嫁さんの存在に心の底から感謝することしかしてやれない日本滞在中の私です。

嫁さんが日本に帰ってきたら暫くは美味いものづくしで泣かせてやりますか!

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2017年3月28日火曜日

大隅先生の偉大さ

ノーベル賞を受賞された大隅先生があちらこちらでお話をされているのを見聞きすると、その内容に大変感銘を受けます。

大隅先生ほどの確固たる知性とセレンディピティを兼ね備えた先生が書き込まれている文章を読むと己の不明を恥じるばかりで、彼我の巨大な差を思い知らされます。
大隅先生はノーベル賞を受賞されたからあのような話をされているのではなく、そのはるか以前からずっと日本の研究者の研究推進方法に警鐘を鳴らされるのみならず、研究室に配られる予算などの細かい部分にまで思いを馳せられた、若い後輩たちに十二分に心を砕かれた文章をあちこちでしたためられております。

そういった細かい事情まで勘案され、内情も理解された上でやはり「流行りを追うな」と言われておりますが、実はこの”耳に痛い言葉”は(元を含めて)私を筆頭とする多くの”凡庸な研究者”にとっては大きなリスクを背負いかねない言葉ともなり得ます。

多くの優秀な研究者が切り拓いた既にある程度の方向性がついているものの落ち穂拾いをして論文を出しつつ、自分のやりたい”リスクの高い”こともやるというのがある程度”生き残ってきた研究者”の普通の姿だと思うのです。(これぞ自分のオリジナルと思っている研究も世界に目を向ければ最低五人は他の人間もやっていると思えというのはよく先輩の研究者方から伺いましたが、歳を重ねるにつれてその通りだなと思うことに出会いました。)

もちろん、極めて優れた先生の中には流行りの研究であっても骨太の実験ができる人がいるのもまた確かですし、大隅先生のように流行りとは全く関係ないものを追い続ける確固たる信念をもち自分自身がトレンドを作ってしまわれるような凄い方もおられます。しかしそういった人は正直な所少ない。事実としてはその多くは調べるものの対象を手を変え品を変え出してみるというような研究者が多いのです。

それに、トレンドでない研究はその研究自体の重要性を理解できる人の少なさもあり、なかなか予算的にも注目を浴びないと言ったことも極普通で”成功した場合でも”長い間、苦汁を味わい続けさせられたという方もありきたりの話です。ましてや”世間的には”成功すること無くオモシロイと思ったことをやり続けることが出来た幸せな人もおりますが、研究のための予算捻出には死ぬ目にあっている人もまたいることは事実。(研究を公平に相互評価する日本のしくみがより磨き上げられればそれに越したことはないのですが、こればかりは100年経っても完全に公正になることはないでしょうね。)

いま記したように、研究室の世界には上からの”予算の配分”と言うものがありまして、これも大ボスに守られて大ボスの枝葉の研究を確実にこなして論文を出して昇進を重ねる人もフツーにおります。これらの人は研究者としては面白みは何もなくとも取り敢えずそれらの有名大学ではやがて肩書なりに”重鎮”と呼ばれる人達になります。(研究の世界で必要だったか否かはこの際脇に置いておいて。w)

そのような比較的”無難な人”でなくとも、某O保方さんの如く恥も外聞もなく、世界の超一流のラボで後先考えずにいろいろとやらかしてまで周りの一流の先生達を巻き込んで結果を”作っていく人”もおりますので世の中魑魅魍魎に満ち満ちてはおりますが。

しかし何れの場合も、研究を開始し最終的に結果を得ることで初期の目的を達成していくのに必要なのは何はともあれ予算です。人的資源もあれば更に文句はありませんが、これはまずはお金という予算があってのこと。(特に医学生物学系は)そういうときにボスが強いというラボでは当然のごとく金が周りやすいのも世の常なんですね。

良い研究には良い人が集まり大きな金がというのは最初に火が点いてこそ!というところがありますので、その火が着火する前に消えていく研究の萌芽と言うのもまた多いものなのです。ですから、大隅先生のおっしゃることはわかるのだけれども、それは研究に大隅先生のような意志と能力(そして多分LUCK)があればこそという気が致します。(多くの研究者にはそれほどの骨太なものは備わっておりません。)

ですが(私のような三流が不遜なことを書くなという誹りを受けるのを承知で書けば)大隅先生のような方だけではこの世界が成り立たっていないのも事実。色んな人がいろんなことをやりながら家族の生活を守りながらも、明日の予算に汲々としながらもやっていくツマラナイと思われる枝葉の研究もまた研究だと考えます。ですから、若い方々には大隅先生の言われるように「他人の作った流行り」を追い続けなくても将来の骨太の研究を遂行できるだけの実力をじっくりと醸成してから研究の世界に飛び込んでいってもらいたいなと思うのでした。

有言実行。言うは易く行うは難しとはまさにこのこと。大隅先生の偉大さに研究者として改めて頭を垂れるのでした。

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2017年3月27日月曜日

患者さん達の時間の潰し方

病院で慢性疾患を患い長い間入院している患者さん達が病院でどう時間を過ごすかというのは人によっては切実な問題です。

暇であることをスポンジのように柔軟にそのまま受け取り、体が動く人でもベッドの上で何をすることもなく過ごせる人はやはり少数です。そういうある意味”変わった人”にベッドの上ばかりでは体がなまるし、精神的にも退屈ではないですか?と言うような質問をしてみても「いやあ、別に〜w」といった感じの反応が戻ってくることがありますが、私のようなタイプの”何かしておかないと間が持たない”タイプの人間にはこれはやっぱり理解の枠の外にある反応ですけど羨ましい能力ともいえますか・・・。

他の患者さんで知的活動力や身体的移動能力が残っている人達の場合、殆どはテレビ、読書、おしゃべり、散歩等をすることになります。テレビはスポーツ中継と国会中継、韓国ドラマ、水戸黄門などの時代劇が人気でしょうか。たまに知的障害のある人が皆の見ているテレビのチャンネル選択に関して喧嘩を売って他の人達を困らせることもありますね。

あと、精神科病棟の患者さん達はこの病院の場合、許可があれば喫煙室にて喫煙が許されておりますし、娯楽室で麻雀などをする人達もおります。後は三々五々集まって囲碁や将棋、ピンポン、後は作業療法の一環としての絵画教室や美術工芸品作製などをする人達もおり本当に各種様々の活動が展開されているのが病院というところ。

逆に言えばこういった活動のことを考えることさえ許されない状況の患者さん達はやはり治療において”厳しい状況”に置かれているというのが現実です。

ベッド上で読書をすると言っても考え込むような本は余り好まれないようで、漫画や推理小説、時代ものが良く読まれているような印象を受けます。実際に退院している人たちが残している本がうずたかく積まれている本棚を見てもその傾向は間違いないようですね。

いつか自分が再び大病を患って入院するようなことになったら本を読む程度の余裕のある状況であってほしいなとは思いつつ、歳を重ねるなら健康なままでとも思いますね。贅沢でしょうか、、、努力有るのみ。w

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2017年3月26日日曜日

お別れの会

今日は日曜日でしたが"お別れの会"なるものに行って参りました。

お別れしてきたのは当院で30年近く院長を勤めてこられたドクターでした。
御年77歳。今時の平均寿命と比べれば遥かに短い一生だったと思いますが文学や音楽、そのtなお芸術に造詣が深く、自ら自主出版の本を数冊作られては院の内外で自分と文学の話などをされた先生にそれらの本をお配りになられておられました。

何と言うか老いてもエネルギーの塊のような先生で、己が精神的活動においてこれほどまでの”張り”をこの歳で維持できるかと問われれば”無理やろな〜”というのが正直な感想です。

それはさておき、最近良く聞く「お別れの会」なるものが如何なるものなのかというのも興味があったのですが、それは病院の近場に有るホテルの大会議場のようなところでのセレモニーでした。宗教色は一切なく、当然お香を焚いたりなども一切なし。

祭壇の上には今風のデジタルモニタに映し出された在りし日の院長先生の御遺影とそれらを囲む胡蝶蘭、霞草と白菊の群れがあるだけです。先生の御出身や経歴が理事長によって読み上げられた後、一人一人が手渡された菊の花を献花してセレモニーは終了居たしましたが、長年の御功労を労うために理事長の方で”病院葬”を・・・と言われたのを亡くなられた先生と御遺族の方が派手なものは好まぬということでそれは固辞され、密葬で済まされたとのこと。

 それもまた院長先生らしい人生最後の選択だなと感じた次第でした。

私自身としては、我々が小さい頃には活動として既に火が消えかかっていた全共闘世代の闘士がまた一人消えていったという感想を持ちました。

合掌。

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2017年3月25日土曜日

数え間違い・・・

嫁さんに笑われました。

「通知をもらった大学の数を未だに把握していない」と言ってきました。エエエ??ということで、合格通知をもらった順に挙げてもらったら既に通知の数は8に達しておりました。orz

嫁さんいわく「あんたらしいわw」との一言で済ませられたのですが、確かにLINEで送られてきた大学の合格通知を順にみていくと1,2,3,4,5,6,7,8・・・8つありましたよ。本当に。w

どうせ来年には次女自身も忘れるでしょうからここにメモとして書いておきますと、上からacceptされた順に・・・。
  1. University of Pittsburgh(愛称Pitt)
  2. San Diego State University (SDSU)
  3. James Madison University (JMU) 
  4. Virginia Commonwealth University (VCU)
  5. University of California Los Angeles (UCLA)
  6. Emory University - Oxford College
  7. University of Virginia (UVA)
  8. Carnegie Mellon University(CMU)
あと3つあるのですが、これは御本人のために伏せておきましょうかね。
残りはちょっと毛色の変わった大学が一つとイワユル超難関校が二つと言う状態です。実際の所今のところはこのうちの3つくらいで悩んでいるみたいなんですが、最終的にその3つのうちから一つでもオファーが来たら上に書いてある大学は”もしかしたら”消えるかもしれませんし、やっぱりそういうのとは関係なしに上の大学の中から”行きたいよ!”と思う所にスッと行くかもしれません。

何れにしてもこの選択は私の預かり知るところではありませんので、”神のみぞ知る”ならぬ”次女のみぞ知る”ということになるかと思います。

まあ、何れにしても当初予想していた通りのアメリカの合格発表にある五月雨式通知。あとの学校は果たして吉と出るか凶と出るか、娘にとっては宝くじの当選番号を待つようなものなのかな?

私自身はなんというか、、、外野席でフランクフルト齧りながらステテコ一丁でゲームの成り行きを見守ってるオッサン程度の存在でしょうか?

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2017年3月24日金曜日

六つ目

この前合格通知の来た大学の数を数え間違っておりました。興味のないことに対して相変わらずのいいかんげんさです。これでも受験生の親か?

実はこの前合格通知を受け取ったのは4つ目だったようで、そのあと二つ新たに合格通知がやってまいりました。実際は5つ目はエモリー大学と言うところで、日本人にはあんまり馴染みがないとこの一つですかね。アメリカでは結構有名な大学の一つです。Emory Univ.のOxford collegeと言うところから通知が来ました。

6つ目はUVA・バージニア大学でこれは私達にとって州内の大学です。トマス・ジェファーソンによる創立ですね。ここだといわゆるIn stateなので、tuition feeはUCLAに行くよりグッと安くなります・・・!(^o^)

あとは更に4つほど大学が残っていたような?あんまりハッキリしませんし尋ねもしませんが、受かったら連絡が来るでしょう。いい加減ですが。w

どれを選ぶにしても結局はお金の問題からは逃げられないわけでして、娘なりに嫁さんにはコッソリ話しているようで、本当はUCLAとかに行きたいけどお金のことを考えたらヤッパリUVAかな~とか言ってるらしいのですが、私はカネのことは考えずに行きたいとこに行け!と言うように嫁さんには言っております。

そういう意味では親の財政事情もよく考えてくれて助かるのですが、大学卒業まではお父さんが責任持ってやるという約束ですので、約束の言葉に違いたくはありません。

それにしても、以前は”日本から子供さんをアメリカの大学に送り出される親御さんとか大変だよな”と思っていたのですが、 気づいてみたらその大変な人に自分がなっておりましたとさ。w

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2017年3月23日木曜日

愛子内親王畏るべし

もうね、己の愚かな中学時代と比べた時のその彼我の落差に呆然としましたよ、本当に。

愛子さまが学習院中等科を卒業されるにあたり記された作文の内容が秀逸すぎてオジサンは冗談抜きでアゴがが落ちてしまいました。最初にも書いた通りなんだか”知性と思惟”が文章の隅々にまで溢れていて、高貴とはまさにこの事というべき見本のような文章で、日々駄文を連ねるオジサンは本当に恥ずかしくなりました。orz

同時に考えたのはこの歳でこう言ったことを考察しなければならない立場に有る将来の責任あるお立場に立たれる方というのは本当に大変だなという一点。こういった平和に対する強い希求というのは先の大戦後に繰り返し平和へのお言葉を事ある毎に国民に向けてお話になられる今上陛下、そして皇太子殿下、そしてそのお子様である愛子さまへと連綿と色濃く受け継がれてきたものに疑いを挟む余地はありません。

文章の素晴らしさと中身の充実ぶりなどはとても普通の中学生が書けるようなものではなく、高級な教育が施されたのであろうということと、両親の能力の遺伝、日常の生活における哲学教育、そして親からの惜しみない愛情などを想像して余りあるものが有ります。

また、ファミリーの歴史や格としてはどこと比較しても世界最強の天皇家がこのような感覚で世界の平和を希求されているということ自体が日本国民として誇らしく思います。

宮内庁がこういった”将来責任あるお立場で公務を果たされる方々の意見”を文章を通して我々に見せてくれるのは大変良いことだと思うんですが、愛子さまがもう少し大きくなられていわゆる”成人”になられてから回顧と言うかたちで公式発表しても良かったのではないかなと少し思いました。

だって、私が中3だったら自分の書いた文章が世間に大々的に知られるのはやっぱりいろいろと恥ずかしいだろうなと思いますもんね。まあ、宮内庁の中の人としてはこの文章の闊達さにうたれて公表したくてたまらなかったというのも十分に有り得る話ではありますが・・・。

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2017年3月22日水曜日

医者の定年

コメント欄で医者の定年に関して質問をいただきましたので、これは一回書いてみる良い機会と考えました。

勿論ここで言う定年というのは国立や市立などの”公的”病院は除きます。この手の所は医師としてのと言うより役職につく年齢というのが比較的オフィシャルに決まっておりますし、そこらあたりは比較的一般企業並みかと思います。

また、私立の医学部ではH原さんの例を出すまでもなく、広告塔レベルの人間を入れれば100歳を超える人間まで”医師”としてというか、医師免許を持ったタダのお爺さんでも祀り上げて置いておきますので、定年は有って無きが如し。

では開業医はどうかというと結局その人が健康で患者さん達がその医師を慕ってきてくれるうちはいつまででもやってる人多いです。先生の息子や娘が二代目として医院を継いでも初代の先生に見てもらいたいと言って指名打者のように診てもらうお年寄りは結構居られます。勿論、二代目などがおれば時間の融通も利いて受け持ち患者さんを少なく診るというような芸当も出来ますしね。

では私が所属するような大規模な私立病院はどうかというと比較的医師の健康が保たつ限りはいつまでもいてくださって結構ですというところが多いような気がします。周りの病院もそうですね。
60代、70代は比較的何の抵抗もなく受け容れられているような状態ですが、少しづつ受け持ち患者さんの数が減っていったりはするのですが、腰が曲がっていても診療行為をされておられる先生はおられますね。

ただし、問題は最新のとまではいかなくても新しい医療、特に医療器具や医療技術にはついて行けない先生方が増えてきます。技術的についていこうという”頑張る意欲”が失せた先生から診療行為の最前線からは落ちていく感じでしょうか。

ただ、スペシャリストとしての”昔取った杵柄”を持たれている方はいろいろな意味で強いですね。まあ、それはどの世界でも一緒でしょうか。

この前、医師に対して行われたあるクローズドのネット・アンケートでは確か70台位までは現役として働きたいという希望を持っている医師が多かったように記憶しております。

取り敢えず結論は”元気にやれるうちは”働け働け〜!という吉本興業のような世界です。w

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2017年3月21日火曜日

病院での人事異動の季節

今日、私の勤める病院では人事異動の発表がありました。

とはいうものの、私の勤める病院では大きな異動という意味では常に多くの人達の悲喜交交の反応を呼び起こすのは看護師さんとヘルパーさん達の二つの職種の異動・移動です。

多くの人達にとっていわゆる職種ランキングの変更は無しでの病棟間の移動となりますから、仲の良い友達と別れたり慣れていた病棟を離れたりするだけでなく、お世話をする患者さんの年齢層やタイプ、そして時には科まで変更になりますから中には”激変”といってもいいレベルの変化がこの4月から訪れる人達もいるわけです。

これらの人事異動の発表にともなって入職してくる人もいれば、当然離職していく人も居ます。私自身はこの看護師とヘルパーの人事異動を決定している看護部長に関しては非常にネガティブな評価をしているのですが、この評価は実際の所、たぶん本人が知らないだけで病院の医局にいる医師は”私の知る限り全員”がとてつもなく低い評価をしております。w

そんな評価を受けている人が、院内の重要な資源である人の動きの采配をとるのですからその結果として起きてくる反応はほぼ毎回予見できるものばかり。

アメリカで、大学において教職について居た頃よく開催されていた教授への研修においては毎回学長が強調していたのは「バスの運転手を手始めに、正しいシートに適正な人間を配置することではじめて組織が生き生きと動く!」ということでした。残念ながら、ただただ長くこの職種にいるだけでは能力というものは全く伸びるということはなく、通常は悪いところが凝り固まっていくだけ・・・。いわゆる頑迷と言うやつですね。しかも酷いときはそれに付け加えて組織の上に立つ人間が認知機能障害を起こしているということも実は”よくある話”でして、組織が崩壊寸前に追い込まれるという話は企業コンサルなどの手記には比較的当たり前のこととして記述されております。

そう考えると、ある程度の歳になった人間はその判断力と認知機能を確認するテストを毎年しておくべきなのかななどと比較的”真剣に”考えてしまうのです。

何はともあれ、新しい部署に着いた人達に幸せが訪れますように!

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2017年3月20日月曜日

忙しいというのがなかなか言い訳にならない仕事

ものごとは重なる時は重なるものです。

今日春分の日は月曜で私の当直担当の日でしたが、昼過ぎ三時頃までは珍しく何にもなくて落ち着いていたのですが、突然内科の有る病棟から呼ばれそちらへ走っていって処置開始。その処置をしている間に別の棟からコールが入り、重症患者さんの家族がやってきたのでそのムンテラをして欲しい、との事。そっちの方には事情を話して「ちょっと待っていただいて貰って欲しい」と伝えておりました。

そのコールを切って一分もしないうちに更にその上層階の別の病棟で保護室に入っていた患者さんが突然転倒し、頭部打撲を発症したとのこと。当直精神科医が頭部CTを撮ったのでその判定をして欲しいとリクエストされて駆けつけてみると、頭頂近傍のseptumに新鮮な出血の形跡が確認できましたので、今度は近くの大学病院の脳外科に連絡を取って当直医の先生に紹介状を送付し救急搬送をする事態となりました。

その救急車が来る間に家族へのムンテラを行いつつ最初の患者さんの状況把握と言う感じで、いままでの平和な3時までの時間が嘘のようでした。

幸いにして患者さん達の容態は安定し、大学病院へ送り出した方も緊急オペになるまでには至らず入院して経過観察で良かろうとの連絡でしたが、今回はすべてが”取り敢えず”ワークしたものの、常にそううまく行くわけでもなく”勘弁してください!”と言いたくなるくらいいろんなことが連続して起きることもあります。

例えば有る患者さんの心肺蘇生をしている時にもう一件ほぼ同時に心停止、呼吸停止のコールが入ったときとか・・・。以前ここにも書いたと思うんですがもうこれは大変ですわ、さすがに。

それでもその場ではそこにいる誰よりも冷静になって対応し続けなければいけないわけですからなかなか大変な仕事だとつくづく思います。充実感はあってもそれは体力・気力があってはじめて出来ることですので・・・。やがて引退という時期くるのでしょうね。

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2017年3月19日日曜日

名城公園でポケモンゲットというか・・・散策

名城公園と言うところに行ってまいりました。

目的は散策・・・等と書いておけばオジサンらしくてまっとうな気もするんですが、実はポケモン探し。w
以前、親父達を連れて名古屋城の天守閣に登ったことはありますが、城の外側を含め、更にその北側に広がる公園自体を目的として訪れたことはありませんでしたので、今回が初の名城公園散策となりました。(まだ散策って言い張ってる。w)

以前はそれほど遠くない名大医学部横の鶴舞公園で寒い日に行って震えながらポケモンをゲットしたこともありましたが、特に目立った収穫はなく駐車場代を払って近くの大須に行ってPCのモニタを見て家に帰った記憶があります。今回の名城公園ではどんなポケモンが出るのか楽しみのために取っておいて敢えて調べずに行きました。

公園にはすぐに着いたのですが、問題は駐車場。なが~い列の駐車待ちの車がありましたのでそこは諦めて公園の周りを少し回ってみると道沿いの標識には土日祝日は除くという路駐許可の標識が有りはするものの、本当にビッシリ埋められてスペースはなかなか見つかりません。

中には反対車線に逆停めしている馬鹿も結構いました。海外住まいが長かったのかな?w
おまけに日曜日の今日は民間で雇われていると思われる路駐の違反摘発のおじさんたちがイソイソと駐車違反のスティッカーをバンバン貼り付けておりましたので、そういった事態は避けるためにスペースを見つけるまで数分間車を流しました所、公園北側の道路に偶然スッとスペースが出来ましたのでそこに車を停めて強い風の吹く中をいそいそと花壇の有る方へと向かいました。

中では貸自転車も出されておりましたが、愉しむのはちびっこ達で私を含めて大人はほとんどがスマホ片手にウロウロ。私自身が理解できたのはここはブルーの巣だなと言うことでした。ブルーというのはピンクのブルドッグ風の妖精ポケモンなんですが、そんなことはマア普通の人にはどうでも良いことですね。
これが呆れるほど沢山おりまして、アッと言う間に進化に必要な50個の飴玉が揃ってしまいました。あと少しだけ珍しかったのはワニノコの最終進化したオーダイルと言うのが捕獲できたことでしょうか。それくらいですね。

二時間もいなかったと思うのですが、日頃の診療の疲れをとるために噴水のそばのベンチでポケモンも取らずゆっくりとした時間を過ごせましたのが何よりも良かったです。

しかし、一つだけ問題が。それはアレルギーの発生で、いま名古屋はスギ花粉がバンバン飛んでおりますのでこの風邪が吹きまくる中での散策は、己の体をそのスギ花粉に感作させ続ける耐久実験の様相を見せておりました。やたらくしゃみは出るし眼は痒いしでその点は散々でした。

家に帰っても暫くはクシャミが出っぱなしでした。

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2017年3月18日土曜日

五つ目

取り敢えずは次女の大学の合格通知のほうは粛々と進んでいるようです。

今日入ってきた合格通知はUCLAの分でした。州外からの応募ですから、カリフォルニア州内からの応募よりかはちょこっとだけ選考が厳し目ではあるようですが、まあ入学自体はそこまで難しくはないかなという感じでしょうか。でも取り敢えずは合格できた大学が増えて選ぶ選択肢も増えてきて良かったです。

同じ高校の友達の中には早々にハーバードに合格した賢い子もいたとか、賢くてもMITに選ばれなかった子がいたとか、それなりにいろいろな話が友達同士で流されているようです。
娘は只々合格発表を待てば良い御身分なので今のところは後5つの大学の合格発表を待つのみ。

問題は私達親の側です。例えば州外からある別の州の大学へ行くとなると通常我々が支払う大学の授業料はその大学へ州内から行くいわゆるIn stateの子供達の払う約三倍前後のお金の支払いが殆んどです。
UCLAの場合にはここにそういった情報があるのですが・・・。見るとここでは三倍ということはないのですが、実質的には約二倍でちょっとガックリするような額の支払総額ですね。

あとはfinancial aidがどれほどのものになるかによるのですが、もしUCLAに行きたいと言い出したらこれから四年はお父さんはたくあんと白飯一膳で四年間を過ごさねばなりませぬ。その覚悟はできておりますが。orz

後はどれだけ娘がスカラーシップをいただけるかにかかってくることは間違いありません。これから一、二ヶ月は仏壇でも買ってきて何か神仏にでも祈りましょうかね。w

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2017年3月17日金曜日

他人の空似・昔を思い出した

今日はちょっとおやおやと思うことがありました。

病院の仕事が終わって外を歩いていた時に外来の看護師さんにそっくりの女性が子連れで歩いていたので、あららこの辺に住んでいるのかな?と思って声をかけそうになったら、どうも何となく違う”雰囲気”がしたので、声をかけそうになる直前にやめました。

体の細い感じやショート・ヘア、顔の輪郭その他も実にそっくりなのですが近視の私が遠目に見ても何となく眼の感じがいつもに比べて”やや”腫れぼったい感じがしたので、本当に直前でやめました。

それ以上は近づくこともなかったのでそのままとなりましたが、その後も「いや、あれは違う・・・よな?」と言うほど似た人だったのだと思います。私の顔を見ても何のリアクションもなかったですしね。(それとも無視されていたか?w)

これほどまでに似ていた人を見た経験は実は余りありませんが、唯一他に強烈かつ不思議な経験を語るとすれば、私が小学生だったある時、同じアパートに住んでいた親父の仕事上の同僚であったオジサンのお母さんと思しき人を街から帰る途中のバスの中で見かけたことがありました。

ところがこれが大変な謎だったのです。じつはこのお婆さん数ヶ月前に亡くなられていたんですね。ですから私はそのお婆さんをバスの中で見かけた時に頭のなかは怖いとかなんとか言うような感情よりも「???????」という、理解不能マークが頭のなかに充満していたのです。私は最後部の座席に座っていてそのお婆さんの横顔を見る位置関係だったのですが、そのお婆さんはなんだか物思いに耽っているような様子でジーッと斜め前方の床を眺めておりました。そして私はといえばジーッとそのお婆さんの顔を・・・。

その時のことは子供ながら果たしてこれをそのオジサンに話して良いものか否か大変考えたのですが、子供なりにその観察に関してオジサンとその奥さんがどんな反応を示すか知りたくもありました。取り敢えず両親には夕食時に話したのですが特に反応はなかったような気がしますが定かではありません。ところがある時そのオジサンと会った時にそのことを話したら、奥さんともども「うーん、もしかしたら会いに来たのかね〜。でもXXくんの所に会いに来るかな〜。」という言われてみれば当たり前の反応を示されたのでした。

人によっては気味悪がったりアホな子だと言うような反応を示しても全くおかしくはないかとも思えるのですが、40年ほど前のその時のバスの中の出来事を今でも昨日のことのように覚えているということは、当時の私にとってよっぽど鮮烈な体験だったのかな〜とも考えたりします。

今日のことは生きている人の空似だったと思うのですが、既に死んでいる筈の人の空似も当然世の中にはあるわけで、そういうときって余りにも似ていたらやっぱり不思議な気分になるものなんでしょうね。それにしても、これだけ沢山の人間が居るのに殆んど今日のような体験をしないと言う意味では、逆に人の顔の多様性というのは凄いもんだと改めて考えた今日の出来事でした。

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2017年3月16日木曜日

確定申告終了

やっと終わりました。

千種税務署に行っても事態の煩雑さ故になかなか前に進まなかった納税及び減税の全ての手続が終了いたしました。
本来はもっと大きな還付を受けられたはずの種々の項目を全く記入せず、書類も揃えずやっつけ仕事でただただ確定申告用に所得証明書をペタッと貼り付けて済ませていた全のですが、今回は病院全体の申告業務を担当している税理士さんの指示の下、必要な書類を全て掻き集め、言われるがままに原本やコピーを揃えてヒーヒー言いながら駆け込み乗車と相成りました。

取り敢えずはどういう結果が返ってくるかはわかりませんが、税理士さん曰く「比較的予想より大きめの額が還ってくるのではないでしょうか」とのお話・・・。

まあ、期待は全くしていませんが税理士さんへのお金を払った後に幾ばくかでも正当な還付金が戻ってくれば収支はプラスということで私は大満足です。

勿論、税理士さんなしでも十分な時間さえあればこの手の問題は解決するのですが、何しろ時間がないのと私の情熱不足のせいで、この前ちょっとした時間を捻り出して千種税務署に駆け込んだときも、税務署員からは「あれが足りないこれが足りない、これは関係ない、この書類はどこにあるの?これはこういうのがあるはずだ。etc,.」と言われ続けて這々の体で病院に逃げ帰りましたので、今回はやはりきちんと下書類を一度作って来年度以降は滞りなくこれらの業務がスムースに進むのかと思うと幸せです。

日本に帰国しての正式かつフルのレベルでプロセスを踏んだ型さえ作っておけば、来年以降は容易に納税業務が進められますので今年のステップは大変重要なものになったと思います。

まあ、こういった細々とした書類、はがき類などの管理業務は来年からは全て嫁さんがしてくれることになっているので私的には実に最後の仕事だったんですけどね・・・。アメリカでのこの手の仕事はすべて私、そして日本では嫁さんと割り振っておりますので今後は少しは楽になりそうです。

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2017年3月15日水曜日

幼稚園・保育園の反対者

日本の少子高齢化もだんだんと”生物学的レベル”でおかしくなってきてるんだなと感じます。

本当に驚くのは幼稚園や保育所を建設するのに”真剣に”反対している年寄り達が居るというニュース。ここ数年はこの手の反対運動の記事に事欠きません。最初の頃は「何言ってんだ?」と言う感じで記事を読んでいたんですが、あちこち具体的な地名が出てそういったことが少なからず本当だというのが見えてきました。

全国的に有名なのは杉並のこの案件ですが、Youtubeでも、杉並・保育所・反対のキーワードで検索するときちんとその馬鹿達の”ご意見”が出てまいります。実際の所、表には出しませんが、静かな公園横の我が家の物件の評価額が下がるからなんですわ。口には絶対に出しませんが。絶対に!

せっかく”公園横”という高い土地の価値を産み出すロケーションにウルサイ子供達がワイワイ遊んでお遊戯して騒ぐ子供達の嬌声が我が家の安寧を乱すということでしょうが、正義面して画面に出て来ている老人達の発言の醜いこと醜いこと。(容姿についてはコメントいたしません。ご覧の通りですが・・・。)

いろんな”らしい御託”を正義の被害者面(づら)して並べておりますが、反対の理由はこの一点ですわ。もし子供達の歌声や歓声が効きたくないならこちらから聞きたいですね。「お前らは学校教育どこでどうやって受けたんか?」と。お前らさえ良ければ後はどうでもいいんかい?

子供達を地域全体で育み育てる能力の亡くなった地域というのはやがて朽ち果てていきます。このKUSOジジイ、KUSOババア達の”私が死ぬまでは作らせん”的な態度は、まさしくゴミ処理場や火葬場を身近には作りたくないという発想と同列に保育所や幼稚園の建設を考えているものとしか私的には思えないんですけどね。

こんなところで、子育てしたいと思う若い世代はそれこそ奇特ですわな。集まった杉並区全体の人口比0.5%の署名をもって全員反対といってる爺さまは一度、認知症の検査を受けたほうが良いです。何なら私の勤める病院で私がお金を払ってでも検査をして差し上げて結構ですが。

杉並児童合唱団って私の小さな頃から結構全国的に有名だったと思うんですけど、杉並区には合唱団が構成できるほどには子供は未だ住んでるんですかね?

日本が衰退していっている大きな理由は単に少子高齢化と言うだけではなく、まさしくこういった老害たちのドミナントネガティブとしての育児へのアンタゴニスト的な存在そのものなんだと思います。

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2017年3月14日火曜日

自家撞着

今日勉強したこと。

それはタイトルに有ることば「自家撞着」です。読みは”じかどうちゃく”。大学受験生や就活生なら知っている当たり前の言葉なのかもしれませんが、おじさんはこの50年という月日の中で文脈の中では何度か自分の目の中に入ってきた四文字熟語ではありましたが、本当の意味をよく知らないまま見過ごしておりました。

意味を調べたところ「同じ人の言動や文章が、前後で食い違っていること。また、自分で自分の言行に反すること。」となっておりました。私自身はなんとなく”執着と撞着”の部分を調べもせずにいい加減に推測していて、自分で文章中に使いはしなかったのですが、"自分の言っていることにこだわること”くらいの意味に取っておりました。orz

恥ずかしくて一人でチョイと顔を赤らめてしまいましたが、とりあえずポジティブに受け取って”一つまた日本語の知識に磨きがかかったわい”位に受け取ることと致しました。

まあ、どこまで行っても言葉の森は深いもの。あるとき突然間違いに気づいて大人になってそれを訂正することも今まで多々ありましたが、これもその一つになってしまいました。

やっぱり国語辞典は感じの間違いを探すだけでなく、言い回しに間違いがないかなどを調べるときにも良く使いますが、その時にウェブの辞典に載っている脇の方や下の方のその他の言葉をretrieveすることで、「へー、この言葉の語源こんなことだったの?」とか「XXXXの誤用の広がったもの」などという説明に巡りあいます。これが意外に知識を広げるのには有効で、かなり満足させられることが多いのですが、多くの方がネットではこれに準ずることをしているものと思います。
やっぱネットのブラウジング上の最大の武器はハイパーリンクだよなーって感じる瞬間ですね。

それにしてもこの言葉の意味を知ってその瞬間に思ったことは「俺のブログっていうのはまさに自家撞着そのものだな」ってことでした。w

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2017年3月13日月曜日

病院の仕事はチーム医療

医師、看護師のみならず看護補助、ソーシャルワーカー、事務、放射線技師、検査技師など病院にはそのシステムを成立させるための沢山の職種があります。

我々の病院での日常業務を滞り無く成立させるためには、これらの職種の全てがスムースに連携する必要があります。誰か独りのスタンドプレーが必要なわけではありませんし、偉大な医師がいる病院でもその先生一人がとびきり優秀でもどうなるわけではなく、その周辺には必ず素晴らしいチームが存在してその先生の存在を”優秀ならしめて”います。

この時期は病棟内で看護師さんやヘルパーさんなどの人事異動、病棟移動がある時期なのですが、毎年のように病棟移動になっている看護師さんがいます。日本に帰ってきた当初はそのようなことが起きていることには気付きもしなかったのですが、この三年でわかったことは何と言うかどこの病棟でも”煙たがられている”ようなんですね。

この人にはこの人なりの長所があって、褥瘡の講習会には積極的に出られてその管理に一生懸命なのですが、そのことをもって他の看護師さんに上から目線で話してしまう事、そしてせっかく病院派遣で学んできたその知識を他の人間に拡めないんですね・・・。
最後のトドメはそういった態度を取って研究の方向には目線を向けるにもかかわらず日常業務では”抜け”が多すぎて、他の看護師さん達がその尻拭いをしているのですが、そのことを病棟師長さんが指摘すると逆ギレしてしまうという状況。

これでは一つの病棟に請われて長く居続けることは出来ないと第三者の私から見て思うのですが、御本人にはそのような自覚はないということで今年の春も難しい事態になるのではないかと思われます。

せっかく能力があってもチームの一員になれない人は病院では働く場所が無くなっていくということでしょう。これは他の仕事でも一緒でしょうね。

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東北大震災からもう6年

3.11の地獄からもう6年も経ちました。まだ6年とみるべきか。

アメリカに居てあの日の日本の津波を涙を流しながら見ていた自分を今でも昨日のことの様に思い出します。大学の患者受付エリアのテレビに朝から晩まで流れ続けている日本のテレビの画像に本当にこれがこの世のものなのだろうかと思えるほどの衝撃を受けました。

6年たった今、どれだけの人達が安定した日常と呼べるものを取り返せたのか私には全く見えてきませんし、知る機会もありません。周りの人たちにも東北に親戚がいるという人は意外に少なく、熊本の地震災害の方の情報のほうがよほどリアルに伝わってきます。

目の前でそして自分が全く助けられない場所で家族や知人を失った人達、PTSDを患った人のその後、家をなくした人たちの引き続く仮設住宅での生活などたかが6年という歳月ではあれ程の大災害においては根源的な問題解決というのは本当に程遠いと言うのが実際のように感じます。

震災は地震の二次災害として未曾有の原発災害というものまで産み出してしまい、万一というのが実は万一ではなくていつでも起こりうるレベルの災害であることが再度確認された日、人間が作り出す技術の高さとその脆弱性の両面が一気に晒された日でもあったと思います。

高度に対策が施され、慎重に設計されたはずの安全対策も、十重二十重に安全の囲いを作っていたはずの設備も、設計にはなかったはずの配管、政治や現場のヒューマンエラー、設計の想定をやすやすと超えてくる災害の前には斯くも容易に無力となりえるという例が再度確認されるとともに、安全に絶対というのものはないことを嫌というほど思い知らされた災害ではなかったでしょうか。

東北、熊本と大災害が続きましたがこのようなことは私の住むこの名古屋でも十分というか長いスパンで見ればもっと酷いことが十二分に起きうることです。特に港区や南区、緑区、弥富等では恐らく兆を容易に越える壊滅的な被害が出るのではないかとシロウトの私でも予測できます。

あのあたりは日本の産業の背骨になるような基幹設備や工場が文字通り密集していますから、あそこに前回の大震災クラスの津波が来たら日本の産業はそれこそ最短でも半年は麻痺してしまうのではないかと思うのです。人の死、産業の壊滅的被害、東海圏への大打撃はそれこそ日本の全てを窒息させるのではないでしょうか。

以前緑区の施設の人に「もし大地震が起きて津波が来たらこの辺の人達はどうするんですか?」と聞いた所「死ぬのを覚悟の上で仕事してます。」と半ば諦めたような笑顔で言われて言葉が返せなかった事があります。周りを見回してみてたしかに高い構造の強そうな建造物は高速道路とちょっとしたマンションくらいしか見えませんでしたので、それもまんざら冗談にならないなと暗然とした記憶があります。

天災は忘れた頃に・・・永遠の真理です。大震災から6年。生きている間は毎年忘れることはないでしょう。

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2017年3月12日日曜日

持っている男たち

WBC日本。下馬評では散々に言う人達も居りましたが、今のところそれらの刺さってくる槍を全てを跳ね返す強さを見せています。

観戦していて出てくるのは「プロはスゲ〜!」という一言しかありません。もうね、シロウトには全く理解できないレベルの物凄い投打と守備の能力。金を払ってでも見に行くだけの価値あるスポーツ選手達だと思いました。

アメリカに居る時に大学内の実験用備品のサプライ・センターにいた窓口のお兄さんがNCAAの大学野球で投手として学費免除だったレベルの選手だったということで、時々野球談義なんかをしていたのですが、その時聞いたのはアマとプロの間にある劇的なレベルの投打の能力の差ということでした。

例えば彼が言うには、まずフツーの人達にとって60マイル(96キロ)で投げるのは”必死”のレベルということだそうで、100キロ超えれば凄いヨと言われました。高校生くらいで毎日スポーツやってるゴツい体格の人間がコントロール無視して投げれば75-80マイル(120-128キロ)を超えるやつも中にはマレにいるかも?(勿論アメリカの非野球系の生徒の場合)といわれましたが、コンスタントにコントロールをつけて85−90マイルとなってくるとこれはもうモンスタークラスと言っていました。

かくいう彼は190センチくらいの背格好で、140キロ位まではコントロールつけていけるそうですが、それを超えるともう次元の違う連中の闘いって言ってました。ましてやバンバン150キロ台で突っ込んでくるやつとかはヤッパリ畏れられる存在らしいのですが、そこから155キロとかに届くのは体格や努力も含めて才能がなければ絶対に届かない速さなのだそうです。

その時、ちょっと意地悪な質問で私の方から「じゃあ100マイル出る火の玉投手なんかは?」って聞いたら「当たったら死ぬ。w」と答えてきました。
やっぱりこのレベルになると物理の法則として最低でも190前後あって、筋肉量が豊かで体幹や手首のしなりもあって・・・等というそれこそ砂浜に1カラットのダイヤモンドが落ちているレベルのレアさを持ち合わせた”神に祝福された一部の人”だけが届く世界なんでしょうね。

WBC観ていると、フワッと力を抜いて投げている敬遠の投球でさえ120オーバーとか出てますからね・・・どんだけバケモン?と感じてしまいます。小さい頃は四番でピッチャーみたいな怪童が更に集まってその中でも四番でピッチャーみたいな輩の中からそれぞれバッターやピッチャーが出てきてという世界であって、その連中がぶつかりあってもプロに成れるのはその中の一握りで、更に一軍に残れるのはその中の一握りで、人に顔を覚えてもらえるレベルの選手はその中の一握りで、歴史に名を残すレベルの選手はそれこそその中のまた一握りで・・・。

じゃあ、長島、王、清原、桑田、イチローとかの凄さには最低でも年俸数億払う価値は当然あるわけ、というかそうでなければならないというレベル。

そんな男達が”いろいろ有るにせよ”世界から集まって戦うのがWBCなんですから、やっぱり魅せてくれますよね。そんな凄い輩でも緊張したりしてバッターボックスに立ったりピッチングマウンドに立ったりして緊張しているのにそれでもここ一発、この一番で観客を興奮のルツボに叩き込めるっていうのはヤッパリ、人間として”持っている何か”が有るのだと素直に認めざるを得ません、というか素直に降参です。

出来ることなら勝って欲しい、しかし負けてでも記憶に残る名勝負を演じて欲しいなと思います。

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2017年3月11日土曜日

犬の手術

アメリカの家で飼っている犬が今日オペを受けました。

いつもいつも健康診断に連れて行っているのですが、今回は歯のクリーニングと歯肉部にあった黒いドットの除去が目的でした。黒いドットはもしかしたらメラノーマの可能性があるということで、先生がオペを勧められてきたということで次女が自分で全額払うからオペしてと言い出したため、私が半額もとうというということでオペになりました。

オペ自体は滞りなく終了したため、アメリカの嫁さんからもLINEで”無事終了”の連絡が入ってきたのですが、メラノーマというのはそれ自体が大変リスキーな悪性腫瘍ですし、特に口腔内に出来た場合は発見が遅れることが多いのは人でも一緒ですので、今回の我が家の犬のメラノーマはまだ発見が早かったと言うべきでしょうか。

メラノーマというと黒いものと言う固定観念が強いのですが、色など全くつかないタイプのものが多いのも医者の間では比較的常識。むしろ黒かったものが多彩な感じの薄さなどに色調変化したもの等は”大変危険”なシグナルととるのが大切。大きく深く抉り取るようにしてその転移の可能性を低くし、その後に化学療法や免疫療法を応用することも多いのが本筋です。

しかし、いろいろと獣医さんのサイトを調べてみると、各犬種によって”発生しやすい疾患”というのがかなりの確度で決まっているんですよね。それだけリスクとなる遺伝的背景が濃く重なり合っているということなのでしょう。これは人間でもある程度似た傾向を示すのと同じですね。特に珍しい代謝性の疾患などでは、他の民族集団に比して有る民族集団に相当高い確率ででるものが有るのはこれまた常識です。

まあ、それが多様性をももたらしている訳なのですが。

何れにしても、今回のオペの予後が良いものとなることを心の底から祈る次第です。

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2017年3月10日金曜日

髪を切る間隔

髪を切りました。

いつもカレンダーに切った日でもちょこっとマーキングしておけばよろしいのでしょうが、毎度毎度そのマーキングを忘れてしまう為、いつ切ったのか正確な日付けを忘れてしまいます。
髪を切らねば鬱陶しいな・・・というころになって”小さな後悔”を繰り返すことになります。

今回髪を切りに行った時にちょっと笑ってしまったのは椅子に座った途端、若いお兄さんが私に向かって一言「今回は二ヶ月分くらい切っときます?」と。当然ですが、私は「はい」と言う返事で応えました。この質問方法、お兄さんには言いもしませんでしたが、本当に俺向きのナイスな質問方法だと内心感心してしまいました。w

この理容室を使いだしたのは駐車場が広いので車を停めるのに悩まなくてよいということ言うシンプルな理由からなのですが、もう今回で6−7回、要するに一年程度は既に通っている事になります。

理容室という所に行ってみて感じるのは、大体”客層”というのは決まっているようで、私が昔から行くようないわゆる”床屋さん”と言えるようなところには”イケメン”の若い兄さんは決して近寄ってきませんし、そういう床屋に来るような連中は美容室のようなところに行って5000円前後の金を髪を切るという行為に使うことは無さそうですね。

これは別に所得の差というよりも、金の使い所や考え方の問題という気がします。というのは私の行っている床屋はシャンプーや顔そりなどコミコミで1800円なのですが、駐車場に置いてあるお客さんが乗ってくる車を見ると結構な価格の”オクルマ”で乗り付けてきてる人が多いように思えますし。そういった単純な観察のみならず、整髪中のお客さんの会話を聞いていても、比較的社会的に責任のレベルの高そうな仕事に就いてそうな人の会話だと見受けられることが頻回だからです。(まあ、オッサン率高いということの裏返しなんですけどね。w)

よく見ているとここに来るお客さんの多くは私と同じで、髪を切られている途中も切り終わった後も鏡を見ることは殆んど無くて、さっぱりした〜!と言う感じの顔を見せはするものの、金を払ってそそくさと出ていく方々が多いですな。

まあ、(己も含めて)顔を気にしても仕方ないような連中だろうと言われてしまえば身も蓋もありませんが。

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2017年3月8日水曜日

大量の写真

以前、ここのブログでも書いたのですが私の小さくない悩みごとの一つは家族の写真です。

今回長崎に帰った時に、本棚にすっと置かれていた大量のビデオと写真が再び悪夢のような量であることを再確認させられました。

しかも、問題はそれらはビデオのみならず写真までもがフォーマットがちがいすぎ、色々と考えて事を運ばねばならないということに気が付きました。保存をするためにはこれらの大幅に異なるフォーマットの違いを乗り越えていろいろと処理していかねばなりません。

運の悪いことに私が結婚して小さい頃の子供達を育てていた頃は35mmフィルムからAPSフィルム、使い捨てカメラ等が混在していた頃で、ビデオの方も数年ごとにVHS、VHS-C、8ミリビデオなど全てのフォーマットがごく普通に混在していた頃で、その終盤期にはHD保存型のももやはり登場。古いものがフェードアウトしつつ新しいものが入ってくるという”数年間隔の周期”に見舞われておりました。

因みに我が家にはこれら全ての異なったフォーマットが混在しておりますので、これらを全てデジタル化していくためにはどれだけの労力、もしくは費用、もしくはその双方が必要なのでしょうか。大量というのは文字通り大量で、長崎から持って帰った時にフィルムのネガだけでどでかいスーツケースのほぼ全てネガだけで埋まってしまいました。

おまけにこれにビデオテープや焼き付けられたCDなんかも有るわけですから、それを時系列に並べるだけでもウンザリってもんです。正直。それでもやってしまわないといけませんな。

自分が朽ち果てる前にファミリーの記録をその子孫たちにデジタル・データとして残しておきたいなって正直思います。
どうでも良いな、そんなの二世代もすぎたらどの画像が誰かなんかもアインシュタインレベルの偉人でもない限り関係ないし、映っている人よりもよっぽど後ろの背景や建物のほうがアーカイブとしては意味のある物になりますからね。

そういう意味では何気ない風景写真を撮りためておくほうが良いのかな〜?
何れにしても、この問題は嫁さんが帰国してきたのを期にちょっとよく考えてみたいと思います。

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2017年3月7日火曜日

この時期に雪かいな

風の強い昨日の天気でしたが、今日は遂におかしなことになりました。

季節外れのアラレと雪が降りました。まさかとは思っていたのですが、病棟を移動するときに朝方の時点で何となく雨にしてはゆっくりと降り落ちてくるなと思って、数秒のあいだ外の空気を眺めていたらミゾレ雪でした。

それからしばらくして何事もない感じで時間は過ぎていったのですが、午後になるとまさしく吹き付けるような大量の吹雪が降りはじめて唖然としました。季節外れとは言えこの名古屋でもまだこんな感じの雪が降ることが有るんだなって正直驚きました。

北海道とか長野の山の中なんかだったらこういうのもまだまだありなんでしょうが、梅はきっちり咲き乱れてるし桜のつぼみもそろそろって言う状況の春先でも普通に吹雪くところが私には驚きでした。
九州出身の人間にとってはやはり雪というのはちょっと降るだけで内心嬉しくなってしまう対象物の一つ。ちらついただけで学校の授業が中断していた小学校の頃のマインドそのままで大人になっていますから、このびっくりイベントはやっぱり私には嬉しいですね。w

それにしてもそろそろ院内では激しく動き回ると少し薄っすらと汗をかく感じになってきています。やはり春はもうすぐそこまで来ていますね。それを知覚した途端に今度はすぐに初夏に突入ですね。

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