2016年6月29日水曜日

怒りまくる友人

アメリカで共同研究者だった隣のラボの友人からメールがきました。

案の定のメールで、イギリス(彼らにとってはGBですが)のEU脱退を決めた「究極のアホどもの究極のアホな選択を許せん!」と書いて送ってきました。w
まあ、実に彼らしい怒りで、彼はスコティッシュですし、教育レベルも収入も当然高い人間ですから例えイギリスに住んでいようとも”絶対に”離脱による様々な”ヨーロッパ人としての”権益の喪失というのはめちゃくちゃ痛いわけです。

おまけに、今頃になって離脱派のリーダー達はそんな公約は言ってないとか、その公約にそこまでの意味はなかったとか、代表的なEUへの拠出金の数字自体が出鱈目だったりとか、移民のコントロールも出来るわけではないとか・・・。
もう、国内的にはボロボロ。w

どっかの国のどっかの政党もマニュフェストなるインチキ呪文の書を高々と掲げた挙句、埋蔵金はないとか、そんなことは言ってないとか言い逃れした挙句、最後はボッコボコに国民に叩きまくられて退場したインチキ政党がありましたので、国は変われど政治家という連中のやることは何処も同じかとただ感心するのみです。

それにしても、気づけよお前ら?w(自民党がクズすぎて民主党に入れて、そいつらが更に呆れるほどクズだったという事態に陥った国の国民が何かを言える道理もありませんが〜。)
EU離脱なんて言うどう考えても”栄光の大英帝国”に戻って自主独立を模索しようなんて言う有り得ない幻想に振り回されて、金融自由化とEU加盟によって築きあげてきたTHE CITYの栄光を消し去ろうとか殆んど正気の沙汰とは思えませんな。

ポピュリズムのポピュリズムたる所以はこの”雰囲気”が創りだすワクワク感が、”とんでもない選択”に対しても時にゴーサインを出してしまうことです。100人の人間がいて99人がYesというような常識は100年も経てば大間違いでした、なんてことはザラですからね。今回の49:51とか、まあ、差は有って無きがが如し。

フランスやドイツは厳しく離脱の速やかな履行を迫っていますし、その際も美味しいとこどりは”絶対にさせない”と既にガッチリ宣言していますから、手前勝手に目論んだ作戦は早くも黃信号どころか真っ赤なサイレンがウーウー音立てて回ってる始末。
更には、この期に及んで離脱派の精神的中核であった前ロンドン市長のボリス・ジョンソンが「今は私が首相になる番では無い!」とか・・・。ビビってるビビってる。w お前、責任とって首相になってボコられろ!

イギリスの人間は少しは賢いかと思ってたけど、やっぱり言いたい。
お前らアホか?w

2016年6月28日火曜日

俺はホストにはなれない

と思います。容姿からして当然ですが。

実はホスト稼業が出来ないという重大な理由は髪の毛です。
別に最近伸びが遅くなってきて地肌が見えやすくなってきた50オヤジのテッペン付近の髪の毛が問題ではなくて、その脇の方の毛のことです。要するに両耳の上の毛。

私の場合、ここの部分が耳に当たりだすともう駄目。w
ありとあらゆるデスクワークの作業効率が落ち始めます。耳にさわるかな?どうかな?くらいの段階では未だ一週間ほど我慢できるのですが、これが、確実に耳にあたっとるで〜という状態になってきたら、やたらとその当たってきた部分を後ろに持っていって当たらないようにしないと、もう気になって気になって。

幸いにして私の頭はテンネンと言うやつで生まれつきウェーブがかかっておりますので、基本的に手櫛を行えば髪は手櫛を入れた方向にスーッと靡いてはくれます。しかし、それもそうしだしてからはマックス二週間が限度!
だんだんだんだんとそのことばかりが気になってきて、「今日こそは絶対に切りに行ってやる!」と言う感じで決意表明をするものの、良くあるのはその決意を表明した日が火曜日だったりすること。
また、私の場合病院当直が月曜日であることが比較的多いため、月曜日の決意表明も意味なし、という結果に終わります。

女性がどれくらいの間隔で美容室に行っているのかとんと知らないのですが、私の場合は通常1ヶ月半に一回。女性は一回の出動でどれくらいお金をつかうのか・・・これまた私にとっては月の裏側の世界くらい全く知らない情報ですが、もちろんその理容室(サロン?ていうのかな。)にもよるのでしょうが、カットだけでも5000円とか?一万円以上するところが当たり前なのか。

まあ、それにしてもホストの諸君のように髪がモリモリに盛り上がって訳のわからないような長さと色の毛が頭部に”はびこって”いる状況で、よくまあ何とも無いもんだナ〜と逆に感心すること仕切りであります。
ホストの諸君はその忍耐力を生かして今後も頑張ってください。w

2016年6月27日月曜日

仕事の効率

病院で看護師さんやヘルパーさん達の仕事を見ているといろいろと考えさせられることが多いです。

各病棟に居る師長さんの”考え方やキャラクター”がその仕事の内容の差し配りや進め方を見ていると非常によく透けて見えてきます。各病棟ごとにまるで別の病院のような雰囲気があります。
私が病院長なら、医師側がどの病棟に言っても統一感を持った仕事がスムースにできるように、方法論的に統一性を持たせるための初期段階での検討会を開くかな〜、等と考えたりするんですが、まあ、これは経営者の仕事ですか。

とはいえ、各個人のレベルを観察していても各人の仕事のレベルは大きく違うしやり方も本当に大きく違いますね。いつもパタパタ走り回って右に左に落ち穂拾いのように仕事をしていく人もいれば、言われたことだけを脇目もふらずにする人、自分のやっている仕事の手順を独り言として大声で言いながら仕事するスピーカーのような人。

それにしても、仕事をするときに「忙しい、忙しい」と言う人の仕事を見ていると、実になんというか忙しくないですね。w 体は駆けまわっているんですが、どう見ても何もしないで同じ所を行ったり来たり。取り敢えずは忙しい振りというのを周囲にアピールしてはいるんですが、どこから見ても充分に考えずに仕事をしているというだけ。

どうしたら、今「忙しい」と言っている仕事を何時まで経っても「忙しい」ままに放置できるのか私には謎です。何故、質を落とさずに目の前の仕事を効率よく済ませるかということに考えを集中させないのか、本質的に怠け者の私にはそこがよく理解できないのです。

病棟によっては始業から終業までの時間がきちんとしていて、規定の時間に4−5分遅れるくらいできちんと仕事の引き継ぎが行われる。しかしあるところでは、夜勤の1時間くらい前から夜勤さんがやってきて翌日まで仕事をして、仕事が終わってもヘタすると二時間位居残って仕事してる人いるし・・・。師長さんによってはそれが大嫌いですぐに追い立てるように帰す人もいれば、いつまでもいつまでも一緒に仕事をしている人も居て各者各様です。

でもね、私は思うんですよね。何故、効率的に仕事を仕上げる方法論を追求しないのかと。だから私は”いつでも”忙しいと言っている人の忙しさというものをほとんど信じません。本当にゴンゴン大量の仕事している人というのは忙しいと言う前に仕事し、かつ終わらせてますから。

怠ける為には効率を追う。(実際はそういう人は怠けてませんが。)エクストラの時間を他のものにつぎ込む、もしくは休息に使う。頭を使わないと体なんていくらあっても足りません。

2016年6月26日日曜日

複雑な家庭事情

世の中は思ったように単純にはいかない”と言葉として吐くのは”行為”としては容易ですが、日常としてその難しさを味わっている人達には、このフレーズが耐え難いほど重い事実の連鎖として存在している場合がある事を、その”枠の外”にある人々はどうしても忘れがちです。

今日、早い時間帯に病院の夜間外来で当院のヘルパーの女の子の診察をしました。家族歴を聴取している時、アシスタントの当直師長が居なくなった瞬間、問わず語りで私に背中の痛みの本当の原因を淡々と話し始めた女の子の話はきっと一生忘れないだろうと思います。

自分の辿ってきた人生も、幼少時代はハッキリ言って結構みじめで容易でなかったものだった事は間違いないと思うのですが、彼女の話を聞いた後は比較的悲惨だったよなと思っていた自分のそんな幼少時代の境遇が”蜜とミルクの流れる天国”のように思えるレベルのものであったことを嫌でも認識させられました。

誰も語らないだけで、大小様々な多くの悩み事や問題を個人レベルや家庭内に持っているというのは、人間、歳を経れば誰でも理解している極ありふれた事ですが、それは家族を持ったり年齢が上がって職場や親族内で責任が重くなったりしたために背負わされる悩みということが大部分であって、生まれつき重たい運命がその個人に宿命のように背負わされているという事態は通常私の目の届く範囲では余り起きていないものだと感じていました。(身体や精神の障害と言う意味ではなく、今回の話は家族間の複雑な関係性によるもの。)

しかし、”家族内の破滅的関係崩壊”がもたらす子供への破壊的なイベントやインシデントの発生と、子供に対する精神面でのその影響を想像すると、今日の診察中すっかり自分自身が暗い気持ちになってしまいました。此の世に生まれてまだ18年しか経っていない彼女でしたが、いろいろな状況を経て中学卒業後は児童相談所の助けを借りて必死に自立している様子を見たら何だか涙が出そうになってしまって・・・。

世の中は平等ではありません。それは十分承知の上なのですが、生まれ持った背景が違いすぎるのを可能な限りフラットに是正していくシステム、子供達が助け求めれば五歳の子供でも容易に手に入れられる手段の存在というものは何にもまして大切だと心の底から思います。児童相談所、学童保育、給食補助、そして可能であれば暴力的な親、ネグレクトをする親からの避難所の設置等まだまだ未来を作る子供達のために金を使うべき場所は幾らでもあると。

飯が食えずに勉強できるか、飯が食えずに脳や体が育つか、毎日親の暴力の影に怯える生活の中でまともに暮らせるか、親が服も買ってあげないような子供達が惨めな思いをせずに育つか、逃げ場のない小さな子供達の精神が蝕まれずにそんな馬鹿親のもとでまともに育つのか、、、。考えるまでもないことではないでしょうか。

せめて18歳になるまでは、子供達が今日のご飯、明日のご飯を心配しなくても学校には清潔な服を着て通えるようにしてあげられるようにしなくてはとてもとても先進国などとは名乗れないのではないかと思った夜でした。

2016年6月25日土曜日

イギリスのEU離脱・ブレグジット

ブレグジット起きましたね〜。

議員の射殺事件まで引き起こした今回の国民的投票。僅差(48.1:51.9)でEU離脱派が勝利しましたが、地図上の勝敗分布をみるとイングランド対その他の地域みたいな対立の構図になっているのが明確に出ているのが何とも強烈で、案の定、スコットランドを中心にEU残留の請願が、投票終了後のたった2日で200万を超える勢いで出されているという話。

これは素直に考えると、再びスコットランドがGBからの離脱へと舵を切るきっかけとなるはずで、6割を超える人間が残留を選択し、ほぼ全国全てが残留優勢地域として記録されたスコットランドとしては国を分かってでもEUに残留するという方向へ必死に動くのは当然ではないでしょうかね。

これでまた、スコットランド人のイングランドとの違いが明確に炙りだされた感じ。特にイングランドの田舎と年寄りの多いエリアでのEU離脱は彼の”栄光の大英帝国”を忘れられない斜陽の人々にとっては、俺達の街にやってくる英語をしゃべろうともしないEU移民と言うのは、”仕事を奪い生活の平穏を乱す連中”という意味でしか解釈されていなかったのではないかと推測します。

問題はGBの四カ国間の地政学上の問題だけではなく、世代と経済的格差をもつ人達の間での違いでも有るわけで、複雑な形状のモザイクの中で今後残された僅かな期間の”最終的な切り離し作業”の中で起きてくるであろう様々な本人たちの予想を超えた悲喜劇がどういうふうに彼らの実生活を変えていくのかという壮大な実験が始まるわけです。

この皮膚感覚というのは、多分(推測でしかありませんが)自分は関係ないと思っていた”戦争”が、始まる前の不安感に似ているんじゃないかと・・・。要するに自分の小さな力ではどうしようもない世論の”雰囲気”が醸しだした挙句の国民の選択。良いとか悪いとかではなく、そうなってしまったという結果にどちらの人間も100%の安堵感は得られない、しかし覚悟だけは決めないといけないという状況ではないかと思います。

脱出可能な人たちはきっと国籍をGBの他のエリアに変えてでもEU残留のメリットを活かせる国に居残るでしょうが、キャメロンの壮大な賭けは、結局、勝って自分の地位を盤石にするどころか彼自身を自らの椅子から蹴りだす結果として決着してしまいました。

他のEU首脳達は連鎖的崩落を断ち切るために早速イギリスの”速やかな”切り離しを勧告していますし、イギリス独立派は今後オノレの投票結果の責任をしっかりと受け止める長い長い年月を過ごすことになることでしょう。

2016年6月24日金曜日

身近な所で意外な”ヒト”の繋がり

人と人との心からの繋がりは、安っぽい金銭上の貸借関係やビジネスなどで繋がっている”しがらみ有る関係”など100キロ先に吹き飛ばしてしまうような凄さを持っているんだなと思うことがありました。

コイツ一体何のことを言ってるんだ?と思われるかも知れませんが、ある関係で知り合った女性が有る超々有名人の幼なじみで、今でもニックネームで呼び合うような仲だということで、そのプライベートな生活の中でのお互いの旧友としてのお付き合いがどんなもので、その超々有名人が対等な付き合いの中で個人としてどんな姿を見せ、どんな発言をする人物なのか、彼女の口から発せられる本当の姿は滔々と彼女の口から出てきました。

いや、本当にビックリするくらいプライベートな写真や逸話が満載で、顎が外れるくらい驚きました。w

その超々有名人はマスゴミの報道でも、いろいろな意味でXXとYYYYのZZの歴史を変えた人物なのですが、彼女の話を伺っていると、本当にその人物に対して心の底から「凄いやつだと思っていたけど、俺の想像を超えてあり得ない凄いやつだな」と感服仕りましたですよ、ホントに。

オノレの器のサイズを知るには偉大な人物の偉大さ、力量をどれほど心の底から実感として感知する能力を持つかと考えたりもします。結局オノレの器が小さければ、その偉大さを測る術(すべ)さえ無いわけですし。
そういう意味では大数学者や天才物理学者と言われる人々の凄さは、その格下の人達がその人々を畏れる様を見て間接的に”感じる”事は出来ますが、その格下の人達の研究でさえ市井の人間である私には”齧る”事さえ出来ないわけですから。

しかし、この”すごい人物”をアダ名で今も呼び合う間柄として私的に知る人物が今回”偶然にも”知ることが出来たことは短いけれども楽しい時間でありました。

返礼として、私も私的に知る”ある人物”(これは真面目な話、”ある人物の上司”が在任期間中は機密事項レベルなので現時点では未だ具体的にここでも何も話せないのですが・・・)の話をしたところ、充分にそり返っていただけました。w

しかしなあ〜、スゲエというか何と言うか、いや、スゲエ話は意外と身近にあるもんです。(最後まで何だか訳の分からない話で申し訳ございませんでした。単に驚きの大きさを伝えたかっただけです。mOm)

2016年6月23日木曜日

電子カルテ・・・良し悪し

外来に電子カルテが導入されてかなり日数が経ちました。

大きな病院は大きな病院なりの、個人の開業では個人開業なりの規模やシステム、対応する診療科目の違いによる使い勝手の良し悪しが有ると思うんですが、今回私の病院に導入されたシステムは愛知の精神科系の病院ではメジャーなものの一つと言われているシステムなのですが、残念ながら実に”ザンネン”なレベルの出来でした。

我々は内科医として、また他の大学病院からバイト等で来る循環器や耳鼻科、眼科の先生のように自分の大学病院で既に三代目、四代目の電子カルテシステムを使っている経験がある方々も、同じように今回の我が病院のカルテシステムに関して”怒り”を示しています。

今回のカルテの導入に関わったのは実にコストに関してシビアな事務局長。しかしこの事務局長は当然の事ながら医学の知識などはゼロです。w そんな人物が”まずはコストありき”で医者の意見等まったく聞かずに導入したシステム等がワークする訳もなく・・・。

しかしまあ、我々のようにコンピュータというシステムに慣れ親しんでいる世代はまだしも、70前後の精神科の先生方はほぼ”悲劇(喜劇?)的”状態の外来のようです。
まずキーボードが打てない。おまけにソフトウェアのハンドリングが理解できない。ソフトが良いかどうかを判別するレベル等とは程遠く、全く使えないレベル。これは冗談抜きで引退なんじゃないの?と周りの看護師さん達は囁いています。

他の大学病院の話を聞いても、電子カルテ導入がそれに対応できない人達へのレクイエムになっっという話をあちこちで聞きました。時代の変遷とはいえ、こういう感じで対応できない人々が消えて(消されて)行くことも有るんですね。

2016年6月22日水曜日

直ぐになくなっていくであろう仕事

この前も、これから消えていく仕事のお話に”ナルホド”と思い、ブログを書きましたが、今日はやっぱりそれを確認できる場面に遭遇したので一応書いておくことにしました。

今日見たのは近所にあるMaxValueのレジ。ほんのちょっと前まではズラリと並んだ”人のいる”レジが沢山あったのに、今日行ってみたらスキャンタイプのセルフスキャン・レジが小さなスペースに場所を取らずに7−8台ほど置いてあって、そこで買い物を済ませた人達が黙々とスキャン作業をしてお金を払い店を後にしていたことでした。

最初は、夜の惣菜を買い込んでいつものようにレジに近づいて行ったら人が居ないので”?”と思っていたのですが、よく見ると人の流れはそのセルフのレジにズンズン進んでいました。
その先を見た時に上に書いたようなレジがあったわけですが、どちらかと言うと人が居るたった二台の伝統的?レジの方には御高齢風の方々が多かった印象があります。

これじゃ、アメリカと変わらんくなってきたなと思いつつも、そのうちレジはほぼセルフスキャンのみとなり、インチキを監視する人が数台に一人つくアメリカ風のレジになってくるんじゃないかと思うんですけど、Walmartでさえ数的にはセルフのレジの比率は未だ少数派なのに今回のMaxValueの激変ぶりは急激な気がしました。

ちょっと気になったのはそこで今まで働いていたおばちゃんやおじちゃん達のこと。レジの仕事をするというのは年齢、資格の面である程度間口の広い職種の代表例であると思っているのですが(間違っていたらすんません)、逆にその間口が広めの職種がマシンに取って代わられるということは、失業率の押し上げという意味ではかなり”キラー”として、強い要素ではないかと思うのです。

こう言った資金力の大きなイオン系の店から導入が始まっていますが、そのうちいろんな店で(私のあまり好きでない)食券の自動販売器とかと同様に普及していってAI機能付きの高精細カメラと組み合わさってインチキまで警告するようになる日がそこまで来ているとしか思えません。

電話のスイッチング係がとうの昔に消えたように、電話の受付け然り、クレーム対応係然り、ガソリンスタンドの給油係然り、、、一度導入が始まると怒涛のようにその業界はそのシステム一色に迫る傾向の強い日本では、すぐに”見なくなった職業”という項目の一覧が増えていくような気がします。

介護やナーシングでもオートメーションとロボットの導入は(資金力さえあればもうモノはある!)目前の世界。失業との戦いは激しいでしょうね。医者も診断能力でAIに勝てなくなる日が来るような・・・。スタートレックの世界ですね。

2016年6月21日火曜日

両親と携帯電話

親父(おやじ)から時々電話があります。

実は日本に帰ってきた時に実家の父親に電話を買って渡しました。いわゆるガラケーと言うやつで、年寄りには多機能のスマホよりも、先ずは話すという機能に的を絞ったマシンを渡したほうが良いかなと考えての選択でした。

あれから約二年とちょっと。親父もガラケーにはすっかり慣れて、説明書片手に親戚中の人間の電話番号登録をしたのもすっかり今では昔話です。ここまで来たら親父にスマホを持たせてみるのはどうかなという考えがふと頭をよぎって親父に電話をしてみると、「スマホは要らんから、地図が見られる電話が有ると良いな〜」と宣(のたま)われました。それってスマホですけど・・・。orz

「やすーいのでいいから」とか言ってましたので、すっかり私からのプレゼントを待っているようですな。まあ、親父にしてみれば電話が使えることに加えてGoogleのGPS機能が使えて、メッセンジャーとしてLINEが使えればもうそれで充分大喜びのはずです。多分メールもまず要らんだろうし。(そもそもメールをする相手など居ないはず。w)

ということは、別にiPhoneで無くとも良いはずで、格安のMVNO+格安SIMスマホでヨロシイと推定されます。という訳でネットを調べるとこのサイトが最もこの手の情報をまとめて出してくれることが判りました。
今度から家族割を使うために、ドコモ系かau系にまとめようと思っております。(なんとなく、ソフトバンクのいろいろなセコさが二年経って嫌になってきた。)

まあNTT系列ならば、田舎でも電波はかなり確かだろうなという可能性が高いということ、他にはauでもまあ、NTTと競争できるくらいの能力があるかなという予想。
ところが実際に調べてみたところ、親父達の住んでるエリアではドコモとソフトバンクが二強状態で電波の質が良いと来ております。となるとここはやっぱりドコモかな〜。

直ぐには期待するなと親父には釘を差してあるのですが、親父がスマホをスワイプする姿を"怖いもの見たさ"で見たい気もするような。w
80近くになっても、使える人は使えるのかな?それとも教えてやればいろいろやってみたりするのか・・・。コンピュータというものにアレルギーを持つあの世代の人間に、二年ちょっとの準備期間を与えた後のスマホ導入してみたらどういうことが起きるのか。う~ん。謎です。

2016年6月20日月曜日

大雨と聞くと

仕事をしていてもエアコンが入っていても少しでも暑いところを通過する時には蒸し蒸ししています。

しかし、そのようなものは今回の九州地方の豪雨に比べればそれこそ屁のようなもの。
熊本の方では1時間に150ミリもの恐ろしいほどの雨量の雨が降ったそうですが、この梅雨の中で思い出すのは私の大学時代の故郷で起きた長崎大水害のことです。私はその当時未だ田舎で高校生をしていたのですが、テレビに映しだされている映像を見ても俄には信じられない程の酷い画像で、正直なところ「これ日本か?」と遠い国の出来事のように感じたものです。

長崎大水害を経験した医学部の諸先輩方の話では、本当に”冠水”という意味の恐ろしさを経験された方々が何人も居たようで、街なかにいてバスを待っていたら見る見る間に脚許の水がどっと上昇してきて、銅座の街の中を泳いで命からがら高いビルの方へ逃げて助かったというような話がわんさかあります。
今でも、長崎の街の中心部に行くと当時の冠水時の最高水位線が記録されたプレートがあちこちにありますが、とてもとてもすぐには信じられないような高さがあります。反応の遅かったお年寄りなどは一溜まりもなかったのではないでしょうか。

おまけに大水害の後の長崎の街では、その後何ヶ月にもわたって街の中が泥と腐敗臭に覆われたのだそうです。
今でも義理の父や母が話してくれますが、その時に通行止めになった峠道を、水の入ったボトルや必要物資を抱えて遠路はるばる歩いて助けに来てくれた様々な関係者の人達の事は未だに鮮明に脳裏に焼き付いているそうです。

この時の長崎は200ミリオーバーの雨が降り続いたようで、義理の母曰く、家の中から外を見ても全く何も見えず、”バケツで水をひっくり返したような”という表現はまさにその時の雨のために有るような凄いものだったそうです。ですから、今回の熊本の猛烈な勢いの豪雨もそういった感覚をそこに住んでいた人達に感じさせたのではないでしょうか。

地震、大雨、土砂災害と立て続けに酷い目にあっている熊本地方ですが、これ以上、火山の爆発など余計な災害が加わらないことを願うとともに、早く完全な日常生活が被災者の皆様に戻ってくることを心の底から祈っております。

2016年6月19日日曜日

久しぶりに大須へ

久しぶりでしたが、ちょっとした用事で大須へ行ってまいりました。

見たかったのは大型のPC用のモニタの実物でした。
どのくらいのサイズでどの程度の画面のものが実物としてどう見えるのか、4K対応のものを中心にじっと見つめてまいりました。MacBook Proも充分日常の作業には申し分ないのですが、どうしても本来の作業”能力”に比して画面のちささがネックになってしまい、AをしながらBをするというような使い方ができません。

それに、本格的なWndowsマシンを組み立てて高速でグリグリと画面を動かすようなゲームや、動きの早いアクション映画では駄目液晶というのは一気に馬脚を現してお目々を非常に疲れさせることになりますので、投資としては”無駄金・死に金”を使うような行為です。
速い動きをリフレッシュできない液晶の画像はそれこそ”何かが流れているけれど、何が描出されているのかわからない”世界を登場させます。

いろいろと見た甲斐あって、なるほどこれくらいが今のトレンドとしてはスタンダードなんだなというのがよく理解できたつもりです。投資すべき金額とターゲットの相関グラフが頭の中でおおまかに描けた気がしました。

その後は店を出て大須に一杯散らばっている美味しそうなお店を・・・と思ったのですが、どの店も人・人・人状態でして、行列に並ぶのが嫌いで、いつも買い物を諦める私には「ダメだこりゃ」と充分に思わせるだけの人が出ておりました。という訳ですぐに諦めてしまいました。(嫁さんは絶対並ぶだろうと思うのですが!)
これは飲食店前では有りません。これは人の少ないところです。
一昔前は、寂れまくっていたはずの大須も人との往来でぶつかるのを気にするレベルで人は出ているという状態は既にこの前の訪問でわかってはいたのですが、やっぱりこれは凄いなと思いました。

イベントが開かれたらこんなもんじゃ済まないないだろうと少し夢想してしまうのでした・・・。

2016年6月18日土曜日

寸足らずのカーテン

新居に引っ越してきて約九ヶ月。

そのあいだに家の中で変わったものといえば、、、実は何も有りません。
精々ゴミ箱が一個増えた程度?ほぼ全くと言っていいほど家具系統の物品は増えておりません。理由は簡単で、”家の中の調度品は私が揃えるものではない”というただ一点の理由に依っています。

”嫁さんの趣味に合わせていこう!”と言う最初からのこのマンションの購入理由からすると、何か自分なりに気に入ったものを買ったところで使ったお金が無駄になるのはなるべく避けたいからでした。:)
それに私自身はミニマリストで、何かを買い揃えて家を綺麗に飾るというよりも部屋はガランとして殺風景でいるくらいがちょうどいいと考える人ですので、どこに行ってもコレが欲しくて堪らんというような物欲は有りません。目的にあった最低限かつ完璧な機能さえあれば、その道具をいつまでも使い込んでいきたいと思ってます。

以前、病院が借りてくれていた賃貸アパートで使っていたカーテンをこちらに持ってきていたのですが、「サイズも全然違うし、マアどうせ使わんな」と言う感じでボックスの中に放置していたのですが、、、今日、病院からドリルを借りてきてカーテンレールを敷設して一気にカーテンをタマに掛けて寸足らずのカーテンをドカッと四枚付けました。

嵌めてみてよく判ったことは、やっぱり全然寸足らずということ。
両脇とも全然幅が足らないし、高さに至っては丸々40センチは足りません。長いスカートが流行っている時代のおしゃれな街なかにいきなり膝上15センチのミニスカートの女性が混じっているような違和感とでも言うのか、いや、スーツの下だけがバミューダになっているといいますか、まあ、そんな感じです。w

しかし、兎にも角にもこれでやっとプライバシーが保たれるという事態になりましたかな?いや、少なくともオジサンの見たくもない醜いセミヌードを他の高い視線を持つ階の人達が見なくて済むようになったということで、他人の目線からの”醜いものの隠蔽”という意味で、社会改革の一環としては名古屋全体にとってプラス1となった日だなと思いました。

2016年6月17日金曜日

陳建一の四川料理

今日は医局の納涼会でセントラルガーデンに有る四川飯店という所に行ってきました。

料理の鉄人に出ていた陳建一の店ということで、知る人にはよく知られた店だそうですが、私は全く何も知りませんでした。w この店は予約もなかなか取れないらしいのですが、今回ここに理事長主宰で納涼会が開かれることになり行って参りました。

というわけで出てきた料理を以下に淡々とアップしていきますね。
と思ったら、グーグルがエラーを出しまくりで画像のアップが出来ませんね・・・。いろいろ調べてみると、画像アップ用のサーバは各個人に関して固定されているようで一度アップが不可となると私の他にもこのサーバを使っている人は問題が有るようで何とか上がった二枚のみを下に貼ります。
一言で言えば上品な中華でした。間違いなく美味しいのですが、40種から選び出された15種のバイキング形式のメニューのセットは一人あたり多分(飲みもの無しでも)12000円以上。勿論、持ち込みのワイン群や紹興酒などを入れれば・・・と言う感じですので、多分一人頭2万は行っていたのでしょうか。
当初、中華なのでもう少し脂ぎったものかと思っていたのですが、良い意味で裏切られたかんじでしたね。

とりあえず嫁さんを羨ましがらせるためだけの目的で写真を一枚ずつ撮ってまいりました。w

今度は医局で集まるのは忘年会ですね。半年後となりますか。

2016年6月16日木曜日

認知症病棟の日常

認知症患者さんの集まっている病棟で内科疾患を持つ患者さんを毎日観ています。

認知症と言っても”見かけ上は”いろいろなレベルの方が居て、一見するとこの人は入院しないといけないか?と言う人も当然いらっしゃるのですが、時間をかけてよく話を伺っていくとやはり違った時間帯、普段は見る機会のない作業において「ああ、やっぱり問題だな〜」という行為が見られます。

夕暮れ症候群とか名前を見るだけでも想像できるかと思いますが、お昼までは何とも無かったおじいちゃん、おばあちゃんのなかで、看護師さんやヘルパーさん、ケースワーカーさんなどの傍に近寄ってきて「寂しい」「家に帰りたい」「・・・・・・(じっと人の手を握って見つめたり)」等という方が出てきたりします。
これらに対する薬剤による対応は勿論いろいろと可能なのですが、完全に効くという理想的な一律のの最終手段があるわけでは有りません。

中には夜中になるとムクッと起き上がってきて看護師詰め所に入ってこようとしたり、一晩中廊下を徘徊したり、トイレに行っては大小便を失敗したりというのもこのような認知症の進んだ方ではごく普通のことです。
更にはオムツをビリビリに引きちぎって大便を捏ねるなどというのもこれは普通の事。
何しろ、感情や思考のコントロールを司る大脳の機能に本質的な障害があるのですから”何が起きても”不思議では有りません。

但し、病棟としては患者さんを預かっているわけですから”事故”が起きるのは何としても避けたい。それでも、事故と言うのは起きるわけです。殆どの場合は転倒事故。お年寄りはただでさえ運動能力が低下しているのに”多動”である事も多く、時間帯を問わずスリップや転倒が起き、防御動作を取れないものですからその小さな動きが場合によっては”後遺症”や”死”に繋がることもあり得るわけです。(しかもそれは今日、今晩も全国の施設で起きているのです。)

そういうわけでは予想もしなかったことも含めて(予想の範囲で起こることは当然として)何でもありというのが認知症の患者さんが入っている施設、病棟の現実なのです。
それを日夜、本当に朝から晩まで献身的に看護師さんやヘルパーさん達が支えているのですが、全国的にはそういった患者さんに対して、言葉による虐待や体への虐待を行う不届き者も出てくるわけです。

そういった行為を行う人間をいわゆる”不適格者”と言ってしまえば話は簡単で単純に思えるのですが、そういうことをさせない為の教育や啓蒙こそが非常に大切なこととなります。(いわゆる予防ですね。)たとえ全国にいるヘルパーさんの10万人の内一人がこの前のアミーユの事件のように酷いことをするだけで、ヘルパーさん全体に対する印象を極端に悪くする御家族の方が出てくるわけでして、そのような小さな事件の積み重ねがその業界全体の印象を決めることになりかねません。(イスラム教徒への愚かな偏見と大して変わりませんよね。)

今日も頑張って日勤夜勤をする看護師さん、ヘルパーさん達の献身的な仕事あっての介護の現場。いろいろといつも自分で考えるのは、”自分の両親をもし入居させるならこのような施設を選びたい”と思えるような場所にすることです。

難しくてもそれを止めた途端に改善どころか劣化が始まると思っています。何事も一朝一夕では変わらない難しい話ですが改善を止めることは出来ません。

2016年6月15日水曜日

結核の患者さん

病院勤めを再開してから結核の患者さんに出会うことが日常的になりました。

結核というと市井の多くの人々にとっては戦前や戦争直後の日本がまだまだ貧しかった頃のイメージが有るのかもしれませんが、実は日本では今だにほぼ毎日都道府県数に直せば一つの県に一人という割合で毎日のように結核の新規患者さんが見つかっているのです。(一日六十人前後)

先進国の中では日本は結核の患者発見数が多い方でして、アメリカの四倍以上。しかし、多くの国でもやはり天然痘のように絶滅させることは出来ていません。菌の性質にもよるのですが、最大の理由は勿論”多剤耐性菌”の出現で、大昔のように一剤で倒せるよな結核菌は本当に居ないのでは?と言う感じで、今では三剤、四剤の併用療法がスタンダードになっている上にそれでも効果の無い結核菌があり、アメリカなどではそのような患者は銃を持った係官が周囲を24時間警備した病院?で脱走不可にしているというまことしやかな噂話までありますが・・・。

最近は高齢者の方々の発症が非常に多くなっているようです。(下の2つのグラフ)
結核というのは感染はしても発症はしないという方が大多数で、おおまかに言えば結核菌に暴露しても生涯を通じて発症されるのは一人から二人と考えられています。しかし、若いころに感染して自然治癒したりしていた方が高齢者となり、免疫力の低下とともに再発して、、、と言うパターンも多いのです。
しかも、副作用はあるものの、治療という意味では優れた薬が次々に登場し続けてきた戦後の一時期とは異なり、最近は数自体は当時に比べて激減しているものの、当然の如く減少”率”は低下しないという傾向が顕著になっています。
また、ご当地である名古屋は大阪に継いで二番目に結核の罹患率が高いところで、日本の平均である10万人あたり15人という数値のほぼ二倍ですので、実に患者さんを見つける可能性の高いエリアだと言わざるを得ません。(裕福な産業都市であるために、全国から生活保護を受ける方が片道切符で送られて来るなどというまことしやかな都市伝説も昔から聞きますが!)

wikiより(まさに結節を作ってますね)
結核は別に肺ではなくとも体中のありとあらゆる所にフォーカスを作ります。結核は21世紀の先進国日本においてさえ、医師が決して種々の重要な疾患の一つとして鑑別診断から落としてはならないものの一つです。
微熱や長引く咳、血痰、体の怠さのどれか一つ以上が長く続くような方は一度病院に行かれることを心よりお勧めいたします。

2016年6月14日火曜日

先生にお任せいたします

何度この言葉を言われたことでしょう。
日本に戻って二年半の間に患者の家族の方々から何度も何度もこの言葉を投げ返されました。そして今日も。

いろいろな状況でいろいろな処置を施した上でもどうしても助けきれない方々は残念ながら幾らでも出てきます。特に齢九十前後の人達や七十前後でも種々の複合的な疾患を長期患った方々、そして悪性腫瘍や神経変性性の疾患など数え上げたらきりが有りません。元々COPDなどがベースにあった高齢者に発症した重篤な肺炎なども”これでもか”というような治療をしても最終的には還って来ないなどというのもザラ。

例え後々に返って来た菌培養の結果などで抗生剤の使用が推測や経験通り間違いなく当たっていた時であろうとも、やはり年齢の壁というのは押し戻せない生物学的に最強のタイマーだと思います。

時計の針を見かけ上逆向きに回せても実在する時間は過去から未来に一方向に流れていくのみ・・・。
九十五歳とか九十八歳とかの患者さんの配偶者や家族でも、一部の方々は「どうにかして助けてください」と言われることもありますし、人工呼吸器を付けてでも良いから、心臓が動いているだけでも良いからと人工呼吸器を付けることを希望される兄弟の方。(何れも私の受け持ち患者さんでは有りませんが。)

私の勤めている病院の自分の受け持ち患者さんの場合、御家族とは最初のミーティングに必ず時間をかけていろいろと現時点でのデータの説明を詳しくするとともに、喩え話や似たような実例、私の家族の場合などの話も交えて、万一の場合における終末期の治療形態に関して突っ込んだ話をします。
しかも、治療期間中も何度かこういった話し合いをする機会を設けるようにしています。

こう言った行為を医師側ではムンテラと言うのですが、これは昔のドイツ医学隆盛の頃の名残の言葉の一つで、いわゆる最終的なインフォームドコンセントを得るための、そして得た後も行われる患者やその家族に対する主治医からの説明です。

こう言ったムンテラを行って、最終的には無事退院といけばよいのですが、実際のところ、家庭ではみきれないということで、病院で最後の瞬間を迎えるために入ってこられる方々もまだまだ沢山おります。(特に三次救急病院でないところは!)その説明の最後にかなりの確率で「先生にお任せいたします」という御家族の言葉が出ることが多いのです。

そんな時は、私のほうでもう一度軽く今までの話をなぞりつつ繰り返し、「XXというような万一の状況が発生した際には人工呼吸器を装着されますか?」とか、「内科的にXXまでの治療はされますか?」等と、具体的な状況や手技にまで事例を落としこんで話しをすることにしております。

しかしやはり、この「先生にお任せします」というのはこれからも続くのでしょうね。
常日頃から縁起でもない話をしない方々にとっては無理も無いのでしょうが、やはり丸投げされる医師側にとって、永遠に難しい一言ではあります。

2016年6月13日月曜日

笑われました

本日、ナースステーションで「何だか雨が多くて梅雨みたいやな〜」って呟いたら笑われました。

師長さんが「何言っとんの全く!これだから先生たちは常識が無いって言われるんだわ〜」等と笑われ呆れられました。そうだったんですか。まさしく「露ぞ」知りませんでしたよ、私は。この前ここに梅雨入りは何時だろうか?なんちゅう事をブログで書いたアメリカ出発直前の己ですが、今調べてみたら東海地方は今月4日には梅雨入り宣言がなされておりました・・・。

昔から季節モノ、行事モノにはとんと疎い私なのですが、ネットで好きなことばかり調べたり読んだり、買ってきた本をベッドで寝転んで読んだりばかりしているうちに、新聞は勿論のことテレビも何も見ない生活が続いていると社会の諸々の”標準的”情報からは隔絶されてしまっていたようです。

まあ、戦争が始まって空からミサイルが飛んできたらとりあえずスマホが警報鳴らす設定ですし、とんでもない災害があって、自分の住んでるエリアに何かありそうなときもスマホが教えてくれる設定ですが、、、静かに進むイベントには何も気づかないと言うこの私の生活。

やっぱりある意味”隔絶された生活”なのかもしれません。
実に単純なイベントではありましたが、今日こうやってナースステーションで大笑いされたのもそういった生活のパターンが普通にテレビや新聞をみて生活する人達とはずれてきてるんでしょうね。まさしく、自分の知りたい情報のみを取捨選択して得ていると言っても良いのでしょうが。

もしかしなくとも、ネットで引きこもり生活をしている人達っていうのは21世紀の今、「今の私マイナス仕事と日用品の買い出しの為の外出」という式を満たす人達なのかもしれません。

ああ、早く”常識の塊”である嫁さんが家に帰って来んと、ただでさえ変わっていると謂われる”変なオジサン”に磨きがかかりそうで怖い・・・。

人気ブログランキングへ

2016年6月12日日曜日

みっともない

持たんじゃろ?と思ってました。

ですからコメントするのもアホらしいと思ってブログにも書く気はなかったんですけど、まあ、記念にでも書いておこうかなと思って、イヤ止めようという感じで気持ちがゆらゆらしていました。
でも、今の時点ではどうも己から辞める気はサラサラ無さそうだし、東京都議会の自民党側も今はこのオッサンを辞めさせるのは選挙戦略上得にならないとどうやら激しくは押し出す気配を見せないようなのですが・・・。

まあ、週刊誌やテレビでの報道が間接的にネット上に流れてそれがまとめられたものを私が目にすることになるわけですが、舛添という人物のセコさはやっぱり常軌を逸してますね〜。事の発端から現在までのハゲ暴れ牛(有吉命名)の言動は一言で言えば自分がどう思われるかというのは”全く関係ない”という一言に尽きますな。w

無論、これには二通りあってわかっていても完全無視する分厚い面の皮の持ち主であるか、脳味噌の中にある回路の異常に起因する恥という感覚の欠如のどちらか。でもまあ、外から見ると結果は一緒ですのでここでは論じる意味は全く無いですしね。

これだけ世間から蛇蝎の如く嫌われ蔑まれるのはあの伝説の菅直人以来ではないかと思えるんですが、(今となってはルーピー鳩山はただただ哀れに思われていただけだと思えます。)御本尊は「都知事を続投し都民に尽くせないまま辞めるなど死んでも死にきれない」なんて未だに言ってるんですから病膏肓とはこのことを指すとしか思えませんわ。本当に尽くしてるんなら既に多くの非美術館系!の施設への訪問を含む数多くの仕事があったのは誰もが知るところで、毎週末に公用車で家族と別荘に行くほど”世界最大の都市の首長”は暇では無いでしょう。

まあ、それを含めてどうでもいいことなんですが、このハゲ暴れ牛の往生際の悪さはもう伝説レベルに昇華したんではないかと。w
少なくとも道端歩いとって石を投げられなければ奇跡というほど激しく恥ずかしくみっともない輩ですな〜。男という字も使いたくないくらいみっともない。

悪いけど、こんな男と一度でも結婚した女なんて言うのは片山さつきもその他諸々の女性陣も含めて、正直まあ、節穴レベルの感度しか無い女性なんでしょうか、それともこの男のセコさに満ち溢れた強欲の匂いについていく価値を見出したのか、はたまた衒学の輩としての仮面に惑わされた愚かで哀れな子羊たちなのでしょうか。
それでも自分のみっともない配偶者にまともなアドバイスを出来ない時点で今の配偶者も残念なヒトなんですが・・・。

とは言え、戻り戻れば結局こいつを自分たちの首長に選んだのも東京都民なんですけどね。よっぽど対抗馬たちにも魅力が無かったんでしょうな・・・。

人気ブログランキングへ

女医さんの結婚

この前、コメントを残してくださった方に応える形でキャリアを追求する女性の中でも身近にいる女医さん達について知るかぎりでのちょっとしたお話を書いてみたいと思います。

アメリカでの女医さんの話は”日本ほどは”身近に知らないのでここに書くような内容は私自身特に持っていません。それに、”平成生まれ+数年前後位”のフレッシュマン女医達の事もよく知りませんので、私が話せるのは精々今どきの30代後半以降の年齢の女医さんたちって感じでしょうか。しかも当然の事ながらおのれの経験談のみを書くのがここでは妥当かと思いますので、聞いた話や噂は書かないということで。

私が学生の頃は女性はどの学年でも約10%程度で、数的には男性優位が明らかでした。これは他の国公立医学部でもほぼ共通だったと思います。医学部に居る頃から学内の男子学生とアツアツの女の子というのが必ず数名居て、結婚は確定的でしょう!という間柄でも、結構な率で結婚には至らず卒前に分かれてしまってお互いに医師になった後に普通に別の人と結婚というパターンが有りました。

我々の卒業生をみると、ほぼ男性側は皆が(離婚したか否かは別としても)一度は結婚している感じで、三十代前半での結婚が多かったと思います。私などは20代後半で結婚しており、比較的卒後の早い段階で結婚したうちに入ります。
では周りの女性の同級生、同僚はどうかというと・・・。少なくとも私の前後の学年での女医さん達は結婚した人としてない人では2:1くらいの感じですかね。マイナーも含めて内科系・外科系に進んだ比率は比較的半々だったような感じですが、卒後しばらくの消息を聞くと、結局は大学病院や大病院に残ってキャリアパスをそちらで極めるという感じの人達はほぼ絶無です。

外科系の先生で、准教授まで行った人は結局”国境なき医師団”のようなところへ出て行ってしまいましたし、この方は結婚自体もされませんでしたね。

教授や院長という形での女性同僚が居ないのはやっぱりアメリカとは大違いですね。たしかにアメリカでも未だに男性は優位ですが、女性のそういったハイ・ランクのポジションへの進出はいくらなんでももう少し上ですし。ちょっとこの点は寂しいです。やっぱりこういうのは出産育児というのがどういう形であれ大きなハンデとしてキャリアデベロップメントにネガティブに働くのが今の日本でしょう。

私の周りの女医さんは本当に仕事もできる人も多いのですが、必ずしも結婚をされているわけでもない方が多いですね。これは私個人の勝手な結論なんですが、結婚するにおいて顔が綺麗な人かどうかは結婚できるかどうかにはあんまり関係ない感じですね。むしろ、結婚に向くキャラ向かないキャラが有るという感じ。

日本の男性はアグレッシブで弱みの少ない理詰めキャラの女性には余り興味を示さないように思えます。無論、仕事の同僚としてはそういった聡明な女性は心強いパートナーとして大助かりなんでしょうが・・・。
先輩や同僚の話を聞いても、女医さんと結婚した男性医師曰く「家に男が二人おる」みたいな感じになってるという感想を述べる人が一人や二人ではないという。w

キャリアの追求と結婚・育児。少なくとも私の周りではそれを”二兎を追う状態”と定義しなければならないほど、女性にとっては多大の努力を要する状態のようです。そういう意味では女性教授は臨床系においてはまだまだ苦難の道が待つのが少なくとも”今の時点での”日本なのかもしれません。

人気ブログランキングへ

2016年6月10日金曜日

久し振りに夜に運動した

今日は思い立って外にエクササイズに出ました。

開始は八時過ぎからでしたが、最初に思い描いた距離はこの前走った6キロよりかは長い距離を達成できればいいなというくらいの感じで気軽に開始。何と言っても今日は無理をせず精々早歩きくらいのとどめておこうという感じではじめましたので”気軽に”始められたというものです。

夜の道を怪しい風体のオッサンが一人でノソノソ歩いているとただの変質者として職質もしくは通報を受けかねませんので、きちんと運動用のカッコをしてスマホをロガーとマッパー代わりにしての行動開始です。

きちんと速度、高度、経過時間、おのれの通過経路、等など一昔前までは考えられなかったような様々な数値がスマホの中にどんどんと記録されていきます。(これってスマホをハックされたらアッという間に全てが丸裸ですよね。恐ろしくもありますが・・・。)

最初の20分を過ぎた当たりからが実際に肝臓の中からものが引っ張りだされて減量等に使われはじめますので、その前に止めてしまっては元も子も無しということで、額に汗をかきながらひたすら淡々と歩き続けました。
20分、40分、1時間、、、歩いても歩いてもこの前のRUNのようには疲れませんので元気に歩み続けられます。鼻歌も出るくらいがちょうどいいのかもしれません。

とりあえず、夜のちょっとした街なか散歩みたいな感じなのですが、スマホのログを見ると結構高低差が有るみたいですね。結局最後の一キロくらいは元気が余ってるということでジョギングしました。
合計でほぼ8.5キロを一時間半弱で移動。いつもは原チャリや車で移動するのみで、覗き込めないショーウィンドウの中も観ることが出来て、エリアの意外な細部を眺めることが出来ました。

帰ってシャワーを浴びたらやはりオッサン効果が出て来てバタンと寝てしまいました。体は正直です。w
(単発でこんなことしてるから痩せるわけないんですけどね・・・。)

人気ブログランキングへ

2016年6月9日木曜日

日本からアメリカへの送金

今回の家のサイディングとガターの置き換えでは約1万ドルのお金をアメリカに送金する必要がありました。(費用自体は2万ちょっと。)

二国間送金というのはマネーローンダリングに対する目が厳しくなって以来、送金額の上限も通常は厳しい条件が付けられるようになっています。
例えば通常は三菱東京UFJだとアメリカへ送金できる一回の限度額は日本円にして100万円。一日で200万だったかな?一月でも最大500万ですから、もし大きなお金の送金で家を買おうとかいう人がいる時はちょっと厳しいことになります。

しかも、(私には関係ないので良くわからないのですが)年度あたりの一つの送金システムの限度額もその多くは500万となっているようで、多分たくさんのお金をまとめて数千万円送りたいような人は幾つもの送金システムを組み合わせて送るしか無いんでしょうかね?

しかもしかも、、、200万以上の送金をする人は税務署に対して国外送金等調書を提出しなければならないというこれまた面倒くさいことに・・・。私は、通常どんな時でもドル円の交換レートを眺めた後、送金可能なドルと円の掛け算をして、それが絶対に100万を超えないようにしています。(まあ、通常は授業料でも請求されない限りはそんなことはありませんが。)

三菱東京UFJの場合100万を超える送金をしようと思えば、直接銀行に出向いてテレビ電話を使ってのテレホンバンキングという訳のわからぬことをしなければなりませんので、これはこれで非常にメンドウ極まりない世界です。

Mission impossibleに出てくるような華麗な海外送金はちょっとワテには無理でんな。w

人気ブログランキングへ

2016年6月8日水曜日

金山で旧友と邂逅

小学校時代から知り合いで、高校から一緒の学校に通っていた旧友と金山で会いました。

私の場合、通常「便りのないのは良い便り」という感覚でしか連絡を取り合いませんので、多くの友人がどこで何をしているのかということに関して寡聞にして知らない、というのが日常です。
それに本当の意味で「友人」と言える人物というのは一生を通じてもなかなか出来るものでは有りません。

特に精神も肉体も幼かった頃の想い出をシェアでき、かつ大人になったあとでも連絡をとれるのは精々のところ2−3人だと思います。(今時の電子的に繋がった世代に関しては昭和のオジサンにはわかりませんが・・・。)
大人になってからの友人というのは年齢の差もほぼ関係なく、苦しみや楽しみをシェアした者同士が打算無く繋がり合うという意味で、幼少時の友達とはまた全く意味が違いますし、こちらはこちらで味わい深いものがあります。

さて、その友人はYと言って私とは高校、大学とも一緒だった(クラスや学部は違いましたが)男で、誰もが知っている名前の企業の中部地区の副支店長として、この春に大阪から移動してきたとのこと。大学時代には仕送りの金が尽きた時に米の貸し借りをした中です。w (超美人の奥さんとの結婚式披露宴でも友人代表でスピーチをさせてもらいました。)彼は十数年前にも名古屋の本山近辺に6年ほど住んでいたことがあるらしく、名古屋は二回目の生活環境ということでした。

彼に今回連絡をとったのはネット上で彼の名前を検索していたところ、名古屋の副支店長勤務を命じる社外報のPDFを見つけたからで、以前連絡をとった時のLINEのアドレスを使ってまずメッセージを送ったところ、すぐに「会おうぜ!」との返事があったことからでした。

そして金山。金山駅のコンコースで懐かしいコアラ顔の男を発見。
少し髪に霜は降っていましたが、相変わらず内面の優しさが顔に出てきた良い男でした。15年ぶりくらいの再会だったのですが、そんな時間の経過は俺達には昨日一日のようなもの。何事もなかったように高校の頃のようにゴルゴ絡みの下らない冗談を言い合いながら金山駅周辺で店を見つけて酒と料理を腹に収めていきました。

互いの家族のこと、勿論嫁さんや子供達のこと。両親のこと、兄弟のこと。話すネタは幾らでもあります。
仕事。生活。高校の頃のあり得ないような愚かな行為の想い出。当時の変わった教師たちの想い出。
もう、話せど尽きぬとはこのことでしょうか。

二次会に行くともう二人共ほとんど食わずに日本酒を飲んでばっかり。
ついでに二人共に変なスイッチが入って己の親のバカ話と共通の友人と経験した高校時代の話で腹の皮がよじれ息ができないほど笑うことになりました。

最後は来月の再会を約してタクシーから降りて池下で散会。次は若い部下を連れて飲み食いしようぜということになりました。来月が愉しみです。やっぱ悩み多き愚かな若い時代をシェアした友人というのはナニモノにも代えられねえなぁ、と再確認した次第でした。

人気ブログランキングへ