2014年2月7日金曜日

長崎への帰郷

昨日の深酒が祟ったせいか案の定早朝目が覚めてしまった私。しかも3時半。

しょうがないので朝食のパンを焼いてヨーグルトを飲み、野菜ジュースを体に入れてゆっくり準備です。ちょっとした帰郷ですからなんの準備もしていませんでしたので、取り敢えず一日分の服と下着を詰め込んで忘れ物がないかチェック。トランクはスカスカの状態です。
駅を出てセントレアへ向かう直行バスは5時半から30分おきですが飛行機の出発時間を考えると取り敢えず6時のバスには乗っておいたほうが無難ですのでタクシーの会社に電話をしました。
ところが名古屋でも中心部にない会社だとこの時間はそもそも営業をしていなかったり、配車センター自体が配車用の車を手配できなかったりという感じで無駄に5分10分と過ぎていきます。

うむむ、ヤバイぞと思った時にやっと一台こちらにまわせるという車が現れましたのでそれにすがりつく感じでの手配を頼みます。ぎりぎり五分前にバスの発車場に到着して一安堵。名古屋の生活も既に一ヶ月経っているので乗車してマナカという乗車用の電子カードも手持ちの道具として持っており、スムースに乗降できました。

久しぶりに帰ってきた長崎は本当に西の端、、、。ズンズンズンズンとバスに揺られて高速を西へ走りますが、本当に何でこんな日本の西の端っこに住んでいたのだろうと不思議になるほどの端っこにある街だなーと感じました。

長崎新地から市内に入り路面電車で蛍茶屋までゴトゴト揺られたあと、義理の父の入院している大学病院まで歩いて行きました。
本当に超久しぶりの自分の大学再訪でしたが、病院が完全に新築されていたことに驚くとともに、内部のシステムも極めてアメリカ的になっていた事に二度びっくり。案内係の人がやたら沢山いるのと病棟の中がナース・ステーションを含めて完全にアメリカの標準的なシステムのコピーになっていたことに「おろろ」となってしまいました。

エレベータに乗って義父の入院する部屋へ向かうとそこには義母も待っていました。こちらから短い挨拶をすると、義父らしく右手をチョコっと挙げて「ヨッ」と言う感じの挨拶。表情を見ても意外と元気そうです。

数日前に義母に電話で話を聞いた時には化学療法で相当元気が無くなっているというような話でしたがどうやら今日あたりから急速に元気が戻ってきたようです。本当に元気な笑顔を見ることが出来てよかった。この後またスケジュールを組んで手術をするということですが、これならば大丈夫かな、と思えるほどの回復ぶりです。

三時間ほど部屋で過ごした後、義母とともに嫁さんの実家へ戻りました。久しぶりの実家は懐かしい匂いのする場所でした。しばらくすると義理の妹と弟の子供たちが義理の妹とともに雪崩れ込んできて激しい喧騒状態。責任あるオジサンとしてゲンコツのおみやげをバラ撒きながら祝福してあげました。

夕方からは歓待のお寿司も振る舞われ皆でワイワイ言いながらの夕食の宴が始まりましたが、この前まで赤ん坊だったチビ達がかなりお兄ちゃん、お姉ちゃんになっていたことに感慨深いものが有りましたね。暫くしてそのまま眠くなり私自身はこたつで眠りこけてしまいました、、、。

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