2012年8月10日金曜日

世界の田舎者

田舎者の定義とは何でしょうかね?自分が田舎もんだというのはよくわかるんですけどその定義はと言ったら。
辞書には「田舎に住んでいる人、田舎出身の人、或いは洗練されていない人を揶揄或いは罵倒する表現」というふうに載ってますけど、後半部の洗練されていない人っていうのが正解なんでしょうね。
個人的には田舎者というのは別に田舎に住む人のことではなかろうと、ある事をきっかけにして教えられました。この21世紀は情報がどこにいても流れ込み、意識さえすれば机の前に座っているだけで信じられないほどの情報が飛び込んできますが、それでも洗練された人になれるかどうかというのは、親からの教育も含めたその人の集大成のようなもの。勿論、田舎に住んでいることで植え付けられ、育てられる「対都会の住人」と言う意味での太古の昔から存在する独特の地方在住者の意識というものも世界中に未だに散らばっていますけど、どんなに田舎の陋屋に住んでいても意識や挙措が洗練されていれば田舎者とは言えませんよね。
実は、この考えを強く意識するようになったのは医学部の学生時代に五島列島の物凄い山奥で出会った、たった一人で簡素な家に住んでいた70代のシャキッとした上品な老婦人に会った時からです。公衆衛生学の調査の一環として、離島のいろいろな場所に学生達が派遣されていったのですが、自分が割り当てられた場所は地図でも道路などは書き込まれていないような辺鄙な場所でしたが、そこでこの方は文字通り「ひっそりと」暮らしておられたのです。話をしてみると何とも思考パターンが完全なミヤコビト。一体どうして、こんなところにこんなスマートな考え方を持った老婦人が住んでいるのだろうと怪訝に思いつつ、型通りの質問をして淡々とデータのサンプリングをしていると、若造のそれを察したのか、一言「私、新宿に何十年も住んでいました」とのこと。
何故こんなところに?と言うようなことをそこで尋ねるのはまさしく「野暮」「愚の骨頂」というべきものですから、当然聞くわけがありません。しかし、なんだか一瞬にしてこの人の洗練された様子が理由も無くミヤコビトという感覚というものに結び付けられてしまう私の思考回路こそが田舎者である証拠ですね。(笑)
(こうやって書いてみると野暮な人間というのはまさしく個人の私生活にずかずか入っていく人間のことなんだなと発見してしまいますね。自戒自戒。 こういう意味ではなにか駄文でも書き連ねるというのは自分の考えのくっきりしていない文を浮き上がらせるという意味ではいいのですかね。)
そこで今回サッカーの3位決定戦後に感じたこと、、、。(また長々とここに来るまで回りくどく書いてしまった。orz)韓国チームに感じたのはこの対「田舎者」の感覚でした。説明してもわからない人間には何を言っても無駄ということ。受容体無き者にいくら特定の刺激を与えても反応は起きません。結局、いくら周りに情報が溢れていても、見たいものしか見ず、聞きたいことしか聞かず、言いたいことしか言えない人間には自分の置かれている相対的な立ち位置というのは見えなんだな~ということでした。 まあ、これ以上多くは語りますまい。
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