2011年7月6日水曜日

差別・アメリカと日本

一昨日から続けて「利権に絡んで生きてきた国政に絡むクズ大臣」の事を書いたので、続けてちょっと差別に対する自分の考えを書いておこうと思う。
大人なら誰でも知っていることですけど、この世に生きている限り「自分がどう生きようとも」差別というのはそれ自体、自分の周囲に空気のように存在する。ただし、自分が差別の主体として差別する側に回ることは避けることができるし、そうしないように志向する事が未来に生きる人間のマトモな生き様だと強く思う。人間というのはいかなるものであろうと「違い」を拠り所にして差別をしてしまう悲しい生き物だ。背の高さ、体重、人種、宗教、信条、性別、出身地、卒業した出身校、親の職業、収入、ファッション、髪の色、先祖の家系さえも!(笑)それこそ「なんであっても」違いさえすれば自分を相手とは違うものだとして、恣意的に差別の材料にすることも出来はします。実際問題、それが「差」ではあっても、どちらか一方がもう一方を優位とする「差別」の根拠となるようなものとするには余りにも悲しい「違い」でしか無いと私は思う。
私が今住むアメリカでは当然のように、今でも人種や宗教というのは大きな差別の原因になってます。一般に白人に分類される人の中でも「ある割合」の人間は未だに隠しもせず他の人種を卑下するアホがいるし、それを隠そうともしませんが、残念ながら21世紀のこのアメリカではその事実が「その本人の発言として」周知のこととなった「その手の」人は社会的には死んだも同然です。少なくとも知的作業を要求する組織の中ではその中に存在することさえ出来ませんし、将来のプロモーションも、正直、ありえません。また、選挙活動などでは候補としては先ず抹殺されたも同然です。(田舎の村会議員はどうだか知りませんが。)この手の発言を平気で人前でするような人達は既に21世紀のシステムの中では、その職業としての選択肢はかなり収入の低い仕事、若しくは無職という状態にかなり寄っているのです。ここアメリカは差別するのも自由ですが、収入は不自由ですし、人付き合いもその手の人達だけの寄り合い所帯です。自分で世間を狭めている報いでしょう。(笑)まあ、私自身は鈍感なのか、以前もこのブログで書きましたが、何れの場所でも差別を受けたと「感じた」ことはありませんし、人種の差などで人を差別するなんちゅう馬鹿げた事はサラサラする気もありません。例え受けても考えることは"What a pathetic piece of shit!"と憐憫の情をかけるだけ、、、。
私の娘達も、私の基本的な態度を受け継いでくれたようで、人を見るのは単純にその「キャラクター」を総合的に判断するのみで、それ以外の判断要素は全く無いみたいです。白人だろうが黒人だろうが、そしてヒスパニックだろうが全く関係無し。陰険な奴と八方美人、それに宗教勧誘にしつこい友人が嫌いみたいです。(まんまオヤジと一緒。)
翻って日本ではどうでしょう。未だに性別による差別はデカイですし、出身地が差別の対象になることも非常に多いですよね。例えば卑近な例では田舎出身か否かとか。私なんか出身が所謂「ド田舎」ですが、寧ろそれは「誇り」でありさえすれ、決してネガティブには働きません。笑わば笑え、仕える幾つかの異なった方言も誇りです。どんなに都会に住んだN代目だろうと、所詮その元を質せば殆どはチャンスを求めて街に来た田舎者や食いっぱぐれ者。下手に家系を辿れば何にぶち当たるか判ったもんじゃありません。(笑)
私の先祖も代々の百姓だったことが判ってますし、それぞれの親の祖先の宗教も日本ではありふれていて面白くも可笑しくもない、ごくごく平凡なものです。(ジャイナ教とかドルーズ、果てはゾロアスター教みたいな日本では超マイナーなものだったらメリハリが付いてもっと面白かったんでしょうが!)
例えば私にとって日本で一部の人間が未だに忌み嫌う「被差別部落」の話なんかを聞いても、その被差別部落の人達が長い歴史において過去に受けてきた差別の話自体には強く同情しますが、私にとってはその部落の人間と言われる人達の人としての、差別者、被差別者の間の人間の質の「素」の差など、探したところで「どこにも」無いわけで、私にはその手の話はナチスが宣伝したエセ科学であるところの優生学や人種論争と同じレベルの徹底的にくだらない話でしかありません。
ただし差別を飯を喰うビジネスにしているなら話は別です。それはこちらの五歳ほど年上の黒人の友人とその昔、話していても出てきたのですが、「もうそういうことでゴネ得を叫ぶ時代ではない」という私の中のこの手の論争に関する確たる結論です。要するに「矜持」の問題であって、その地位に甘んじようとするなら「負け犬・LOSER」としてのレッテルを自分に貼り付けてそれを飯の種にする方法も生き方としてはあるでしょう。しかし、そんな生き方誰が尊敬するか?ということです。少なくとも私は全く尊敬しません。同じように生きていても、酷い環境で生きていても、抜けだしてくる奴はキッチリ抜けだして自分の成功を掴みます。それはここアメリカでも全く同じ。奴隷としてモノとして売り買いされてきた黒人の中にも物凄い差別と戦って自分を叩き上げ、社会のシステムの中でトップの中のトップと言われる選良になった人間などそれこそ数えること自体馬鹿馬鹿しいくらい「掃いて捨てるほど」居ます。
きっとこういうことを書くと「現実にはな~」という話になるのでしょうが、そういう下を向いた生き方をする連中は何処にいてもその出身に関係なくただただその「”たかる”という行為」「負け犬根性」によって忌み嫌われるのです。そんな輩、先祖が将軍様だろうが貴族だろうがこちらから付き合いを願い下げしますよ。どだいそんなオーラを撒き散らす連中と誰が付き合いたいんでしょう。私にとっては決してその手の人物に対する判断は「出身」ではないのです。そんなモノは私にとって本当にどうでも良い。
その人物の体に障害があろうとなかろうと、金があろうとなかろうと、私が人を見るのはその人間のキャラクターと独立独歩を目指す挑戦の気概だけであって、その他の要素は差別の対象とは成り得ないのです。大金持ちでも自分にとって唾棄すべき根性の持ち主だったら付き合わないし、先祖がどんな差別を受けていようが、気が合う輩は普通に友達。親の名が知れない、捨て子だった、貧乏、身体に障害が、、、その他諸々ハンディがあっても、それがどうした?しっかり前向いて降りかかってくる刃を真正面から薙ぎ払い続けるのが「普通」に生きるっていうことじゃないですかね。
数を頼らず、拳に訴えず。人の生き様としてこの「普通」がカッコイイですよね。私の周りにもそんな生き方をする人達、幾らでも居ます。戦いに疲れたら休憩すればいいこと。今東光和尚も喝破した如く、「人生は冥土までの暇つぶし」。どうせ生きるなら一敗地に塗れることがあっても、泥を啜ってででも顔を上げて自分なりにいろいろと挑戦し続けたいものです。
そういえば、ここまで書いてちょこっと今思い出しましたけど、昔、学生時代に家庭教師をしていた在日韓国人の家の子は通ってる女子高で差別を受けたことがあると言ってましたけど、それを普段はおくびにも出さない普通の子でした。ただ、親父さんはものスゲーがらっぱちな、割れ鐘のような声で喋る親父さんで、戦後のどさくさ紛れの時期に相手の日本人のやくざ者と抗争になって、相手の片腕を日本刀で叩き落とした挙句、そこの警察署長からヤバいからどっかに身を隠せとアドバイスされて逃げてきたようなこれまた途方も無い「平静の世には余りなじまない」怪経歴の持ち主でしたが、その成金一代の戦後の生き様は物凄いド迫力そのものの生き方で、何はともあれ一目も二目も置かざるを得ない凄いオッサンでした。(今はもう亡くなられたので時効です!)
さて、十日も持たずに早速辞めてしまった根性無しのこの大臣、爺さん、親父、そしてその孫と世代を経るごとに人間としての器が「大きな臼>すり鉢>欠けた湯呑茶碗」という具合に世代を追ってエラク小さくなってしまったように思えます。これも自然な人の世の流れというものか、、、。死んだ爺さんが見たらその器の小物ぶりをきっと嘆くことでしょう。偉大な祖父のDNAをもってしても、末に帝王を育てるのはかくも難しいものか。私には次の有名なことばが再び思い起こされました。
売り家と唐様で書く三代目
彼の場合は持ってる金ではなくて器が縮小したようです。

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