2011年2月28日月曜日

こりゃ凄い

先週からNetflixというビデオ・オン・デマンド・サービスを試している。
これが快適快適。ひと月$7.98でチャンネル上にある映画やドラマを無制限に視聴できるというのが基本なのだが、2ドルの追加で更に無制限にDVDのメールオーダーが出来る。
近所に最近増えてきた一ドルで最新の映画が借りられるオート・ベンディングマシンのRedBoxというシステムを使っていたのだが、この方がどうにも便利でネットフリックスにシフトしてしまいそうだ。
基本的にアメリカではDVDを買っても日本とは比べるべくも無い位安いのだが、これほどレンタルDVDとアーカイブからのダウンロードが安いと、わざわざ観たいものを買って手元に置く必要性というものが無くなってしまう日が直ぐそこまで来ているのではないだろうか?始まったばかりのサービスでここまで充実しているのならやがては「確実に」ほとんど全てのありとあらゆる映画がオンデマンドで見ることが出来る日が来る。そう思わせるだけの画質と数を揃えている。
それにしれも不思議に思うのは、一体こんな廉価でのサービス提供を行う状態でどうやって利益をあげているのかどうにも不思議だ。だからこそ、創業者の兄さんは大統領に呼ばれて話を聞かれるような人間なのだろうな、、、。
とりあえずはこのサービスを一か月試してみて、提供されるタイトルなんかが良い具合にアップデートされるようだったら正式に料金を払うようにサービスに延長しようかな。

2011年2月27日日曜日

流れとは、勢いとは

今年の我チームを象徴するような連続負け。今季のレギュラーシーズンはこれで終了なのだから寂しいものだ。
「ズルズルと負ける」というのはこういうことをいうのだな、というような負け方。決して力の差で負けるという感じではないのだが、例えばディフェンスでの一歩の踏み込みの差、オフェンスでの一瞬の意志の迷い、そんなモノが全てに現れたような試合だった。
相手との差は多分実力的にはどっちが上でも最大で数パーセント、それが1,2パーセントでも結局負けは負けということで結果が出る。
これが止められない負の流れというものなのだろうか?博打の勘所は「いつ引くか」という一点にかかっていると思うんですが、バスケットは賭け事とは違うし、引くことは決して出来ない勝負事なので俺の感は全く使い物にはなりません。w
ヘッドコーチは頭丸めて来季で直してきて下さいって言っても、最初から彼の頭は三厘刈りだから丸めようは無いんですが、、、。

来年は頼むよ!

2011年2月26日土曜日

アメリカのカレッジに入るには

上の娘がSATを受けるのが来月のはずなのだが、そんなに勉強してるように見えないのは親の俺だけか?という気がしないでもない。
なんだか、この受験準備というのはこんなにも子供任せでいいんですかね?
仕事にかまけてこんな感じですが、他のブログとか見てみると子供さんの大学入試に真剣に取り組んでおられる親御さんの数が多くてダメ親として気が滅入る感じです。(笑)
なんというか廻りがしゃかりきになっているとこっちは逆にやる気が無くなるというのが私の昔からの定位置で、受験の時や通常のテストの時なんかは特に「脱力」してしまう傾向がありました。(じゃあ、だからといってテストが無い時なんかに頑張っているかというとそれも全くそんなことはないわけでして、、、)要するに、怠け者なんですね。
いつも真剣に頑張るのは「怒った時」と「ケツに火が着いた」という時だけ。要するに日頃から準備をコンスタントに出来ないダメ人間です。そんな父親を持つ娘ですから、小さい頃からまあこの怠け遺伝子が遺伝してるだろうと思ってたんですが、やはり女の子らしいところがあって、結構、課題、宿題、プロジェクトの類はコンスタントにこなしているようです。逆にいえば、その手のことが高校の頃に出来ず、常に本番のテストだけでどうにかこうにか帳尻合わせをしていたような人間であった私のようなタイプは、アメリカの高校では「まず絶対に」良い成績は取れないことが良く解りました。
確かにEXAMという項目ではいい点が取れるかもしれませんが、宿題や小テストでの細々としたものが出来ていないと、全体の成績はガンガン評価が落ちていきます。本当に日ごろの努力の小さな積み重ねが最終的な本人の高校の成績を決めるのです。これに組み合わせてSATを受け、かつ教師その他の推薦状を準備し、更には日頃のボランティアや社会活動の一覧を添え、特別な資格や能力を持っていたらそれを証明するものも組み合わせ、リクエスト次第で(殆どのところでそうなんですが)小論文・エッセイをつけて提出し審判を待つことになるわけです。
結局、カレッジが見たいのはその学生がカレッジライフを通じて学業を終了させる能力があるか、そしてその伸びシロは大きいのか、更には一人の人間としての成熟度はどうなのか、将来の夢は、課題を与えられたときの判断能力はどれほどか、ということなどを総合的に知ろうと考慮された検査だということになります。
日本のように殆ど一点突破で突き抜けていくような方法はナカナカ通じないようです。無論、「天才」レベルと言えるような学生なら話は別なのでしょうが、それは実にレアなケースであって、そこら辺の秀才だと、学校生活が駄目だとカレッジも遠くに霞んでしまうということになります。
要するに良いカレッジに行きたければまず良い点数。そして、それに付け加えて何をアピールできるかということになるわけで、プレップスクールのようなお金持ちの子息がいくような学校(DC界隈では全寮制で年額5万ドル以上普通にします)はそこら辺をきちんと考えてキャリアデベロップさせるわけです。
日本以上に金持ちの子は再び金持ちへ!という道が大学込みで取られているんです。所得格差で云々とはいえ、日本なんてこの国の巨大な格差に比べればまだまだ平等な国です。
でも、内側からだけの視点でみるとそうは見えないんでしょうね、、、。

2011年2月25日金曜日

やっぱこいつは頭おかしい

以前このブログで、野田聖子の出産のことをちょっとかきましたけど、つい最近この人自分の近況に関して追加の情報を載せてるみたいだったので読んでみました。

★野田聖子議員 子の疾患手記で明かす

米国で第三者から卵子の提供を受けて体外受精で妊娠、1月6日に長男を出産した自民党の野田聖子衆院議員(50)が、不妊治療開始から初産までの壮絶な経験をつづった「生まれた命にありがとう」(新潮社刊)を、明日25日に出版することが分かった。
出産後に血の塊が見つかり、子宮摘出手術を受け、2度と子供が産めなくなったことを明かした上で、「私は泣きぬれた」としている。また、長男はおなかにいる間、肝臓と心臓に疾患が見つかったが、「何があっても産み遂げる」との決意で出産に臨んだことも記した。野田氏は「子供を産み育てることの覚悟を、あらためて出産の神様は私に促している」「この試練を乗り越えてでも子どもがほしいのか、子どもを持つということはそういう問題をも引き受ける決意を固めることなのだと」としている。長男は新生児特定集中治療室(NICU)に入院。産後に食道閉鎖症も見つかり、母乳はチューブを通して飲んでいる。おむつ交換などで、母子のスキンシップを取っているという。
野田氏は選択的夫婦別姓推進の立場だが、事実婚の関係だった父親の男性と婚姻届を提出したことも明かした。男性が「子どもの父親として戸籍に名前を刻みたい」として、野田姓になったという。同書は「子連れで永田町を闊歩(かっぽ)する野田聖子の姿を見せることができた暁には、1人でも多くの女性が『私も、産みたい』と思ってくれれば」と結ばれている。
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最初に一言。突込みどころ満載すぎてどう書いていいか戸惑いました。
以前から言ってますけど、こういう記述から解ることはこの人は「出産という行為自体」に価値を見いだしているのであって、その過程やその結果産まれる子供のことなんかは後ヅケでしかないということ。これだけはこの野ブタが何と言おうと絶対に譲れない事実。
自分の出産経験という政治家としての経歴への箔付けのために犠牲として産まれてくることになった可哀想な赤ん坊。あえて、可哀想と言わせてもらいましょう。例え五体満足でも既に十分に母親のエゴの犠牲になっているこの赤ん坊が今度は(既にこの時点で)三重に奇形が見つかったというのではこの赤ん坊が余りにも報われませんよ。食道閉鎖症のことを一つとっても、その障害の型と程度によりますが、手術を複数回する可能性があるかも知れないということと、この食道閉鎖症というのは多くの多重奇形を伴うことがあるということで、実際には食道と心臓肝臓だけでなく、その他の臓器に関しても多大な負担を赤ん坊が強いられることが強く危惧されるからです。

ここで更に頭に来るのは、どこまで行ってもこの馬鹿は自分のことと、自分から見た赤ん坊のことを書くだけで、赤ん坊から見た幸せの記述を真っ先にしない、そして考えていないということ。

>長男はおなかにいる間、肝臓と心臓に疾患が見つかったが、「何があっても産み遂げる」悲劇のヒロインにでもなったつもりなんでしょうね、このお花畑脳のイカレっぷりは、、、。産み遂げるってなんでしょうか?また自分の行為の話ですよね。そして私が最も頭にきたのは「子どもを持つということはそういう問題をも引き受ける決意を固めること」って、お前どアホか?そんな当然のことを大の大人がさも今気づいたように書くな!ということ。親になるっていうのはペットを買いに行くのとは次元の違う真剣深刻な話であって、子供のことは少なくとも親は自分のことはさておいてでも、そして子供には悩んでいるところを見せずとも、夜も上手く寝付けずに考えてしまうような世界ですよ。そんなアタリマエのことも理解できとらんお前が国会議員して本まで出して人に出産と育児に関して説教垂れるって言うんだから開いた口が塞がらんよ。だから議員って言うのは恥知らずとかバカの代名詞みたいに使われるんですよ。センセイ!
アンタの出版の為に犠牲となって産まれてきた子供の為にもモンスターペアレントや子供のストーカーにだけはならないでね。

最後に一言。
あんた確か夫婦別姓推進してたはずですよね?精子提供者の男が野田姓に入るんならホイホイと入籍するのって一体何なんですか?しかも野田姓。(笑)余りにもこいつの考えてる魂胆が透明すぎて気の毒になってきました。というかこの男も少しは矜持という言葉の意味を辞書で引け。それと、誰もあんたが永田町を子連れで闊歩するのは見たくないですから。赤ん坊に罪はない、しかし少なくともお前は見たくない。子供は人に見せびらかすためのペットでも飾りでも無い!

ああ、今日は本当に頭きた。おわり。

2011年2月24日木曜日

負け!

あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ!
これでトーナメント出場は消えた。
コメントする気にもならん。
やっぱ勝ち負けというのは本当にちょっとした差の積み重ねなんだねっていうのが「よーくわかった」一年でした。これは現実の生活でも同じなんだとういうことですよね。
ちょっとした努力の差、ちょっとした能力の差、ちょっとした運の差。これらの差を呼び込む性格や教育、遺伝子の違いなんかのいろんな組み合わせで人生いろいろなんですな。
RAMSよくやったよ、このチームメンバーでどうやって勝つかななんて思っていた当初の私からしてみれば結構愉しませてもらいました。
今日トイレに入ったときにすれ違いざまに長年のRAMSファンのサイエンスディレクターに向かって「来年のシーズンチケット買おうかどうか迷ってますよ」と話しかけたら、振り向きざまにニッコリ笑って「真のファンは雨の時も嵐の時も絶えず応援だ~!」と逆に言われてしまいました。

買うしか無いか、、、。とほほ。

2011年2月23日水曜日

社会保障・税番号の導入はうまくいくかというよりも、、、

今日本で進んでいる議論の中に「社会保障・税番号」の導入というのがあるようです。
この手の番号導入でいつも強い反対論が沸き起こるのは、主に二つの理由、プライバシーの侵害の可能性と課税評価への完全補足の足がかりになることへの、富裕層と所得隠しをしている連中(若しくはその双方が重なった連中!)の恐怖だったのではないかと思います。
しかし、アメリカの社会保障番号制度(及びそれを持たない合法滞在者の為の納税者番号制度)を見ても解るように、21世紀の近代国家としての体裁はこの手の一括管理による合理化と行政の円滑な運営を助けるシステムの導入は不可避なものだと自分は思います。
ただ、この手の制度の導入には公務員その他に対する、この手の番号の管理の濫用に対する強烈な罰則を設けないと、とんでもないことが起こりそうな気が、、、。以前の年金問題の時に全国の社保庁の人間の中には如何に職業倫理的な敷居の低い人間が沢山いるのかと言うのを詳らかにしてくれましたので。(逆に言えばそれが普通の人間の世界なのですから、罰則を設けて倫理の穴を埋めるしか無いのですが。)
これからは個人の資産運用を「どこまで」税務署が把握するかということに関するせめぎ合いと、個人のプライバシーを漏れないようにする対策、そして漏れた時はどうするのかという方法論の深化にかかってくるのでしょう。
(実際の所、その気になれば個人情報なんてどんな人間であれ殆ど透明の状態ではないかと思うんですがどんなもんでしょう。)

2011年2月22日火曜日

入学するカレッジの選択

上の娘がアメリカのカレッジに入学する年齢が近づいてきた。後一年ちょっとでもう家を出る歳だ。
日本の大学入試とアメリカの入学システムが全く違っているせいで、親としてはほんとうに情けないくらいアドバイスが出来ていない。これでは昔の自分の両親と同じではないか。(笑)
とはいえ、このような「無指導」にはポジティブな面もあって、娘が勝手に勉強して、勝手に進路相談の先生たちと話し合って色々と情報を集めるようななっていること。
親が情けなければ子供は自動的に頼らなくなるようです。w
アメリカでは例えばいきなりハーバードという選択が無い訳でもないのですが、通常専門的な資格を取るコースや博士号を取るコースは、カレッジ>ユニバーシティーという道をたどる。
その中でもカレッジはいくつも種類があるのだが、娘が行きたいというのはリベラルアーツ・カレッジというところだ。ランキングも毎年発表されているのですが、日本の人が見たらなにこれ?というようなのが殆どだと思います。アメリカ人でさえ、高等教育を受ける機会のなかった人達や、興味のない人達にとっては殆ど反応は同じかも。おまけに、結構地域によってその学校の有名度が異なるため、ある州では有名難関校として知られていても、他の州の人には殆ど知らね~な~状態になることもしばしば。しかし、この様々なリベラルアーツ・カレッジ、綺羅星のごとく有名人を輩出しておりまして、世界中からありとあらゆる人達が入学してきます。娘の場合はtuitionの安いのは当然バージニアの州内のカレッジ若しくは総合大学のコースです。お互いの顔の見えないようなでかい大学は嫌いだとのことで、娘はCollege of William & Maryというところに行きたいと行っています。日本語での説明はここ。州内なので州内から行く子は州外から来る子に比べて授業料は約1/4です!(他のカレッジも私立以外はそういう比率が普通です。)そういう意味では貧乏人の私にはこの選択しか無いわけですが、、、。
最初の頃はリベラルアーツってなんだ?文系のナンカか?位に思っていましたが、どうやら色々と調べてみると徹底的に思考力や討論力を磨き上げる教育を施すようです。まあ、ダメな親に代わって勝手にやってくれることでしょう。(小学校の頃から親には一切勉強や進学のことっで何も聞いたり相談したことがなかった自分のように、、、。)


今日はこんな記事を読んだことでこの日記を書きました。

2011年2月21日月曜日

アメリカの田舎はいつ見ても驚く

昨日は下の娘が学校のプロジェクトを友達の家で済ませるというので、彼女の家まで送っていった。
私の家もリッチモンドからは車で30分以上かかるところなのだが、その私の家から更に20分かかる田舎にあるのがその友達の家。
まあ、日本の常識では考えられないような(北海道ならありかも?)感覚で家が点在している上に、GPSの上ではどこにも住所としては存在しない場所に家があったりするので迷うこと無きにしもあらずというところだ。
その女の子の家は近所にぽつんと教会がある以外は舗装さえされていない森の中に忽然とたっており、銃がなければ絶対に自衛できないようなところにあった。下の娘に聞いたところ、そこのお父さんはハンティングをするということで納得。それなら警察は要らんでしょうというところか。(笑)
友達の娘さんが出てきたが、日本人としては大きい娘がチビに見えるほどに大きな且つスラっとしたかなりの美形の娘さんで、横に乗っていた嫁さんと「モデルになれるレベルだね」と話したくらいの子でした。
それにしてもこんなところに住んでいる人たちというのは日本のような住環境に居る人間とは孤独に対する耐性や人混みに対する感覚というものが随分と違うはずで、所謂「住む世界が違う」ということになりますよね。昔、ゴードン・カンファレンスに行ったときに見たサンタフェの周辺の砂漠の中を走る道沿いに点在する貧しいトレーラーハウスの住人を見たとき、「絶対、俺とは周囲の環境に対する感覚がマッチしないはず!」と考えたものです。
事実、アリゾナの砂漠から来た青年が私がNIHにいた頃離してくれた一言「俺は緑の木に囲まれているよりも、砂漠の中のほうが心が落ち着くんだ」と言ったのが今でも印象的で耳に残っています。
同じモノを観て別の事を考える、、、人の価値観を構成するのは単純に教科書の最大公約数的教えのようにはいかんもんですね。

2011年2月20日日曜日

国体なんてやめちまえ!

訳の解らぬ日本の年中行事の一つの中でも最大のものは「国体」だろう。
wikiによると国民体育大会は1946年から開催されているようで、戦後の復興に合わせて「当初は」各地域に持ち回りでお金を落としていくような感じの国民の体力増進に資するという様な感じで執り行なわれていたようですが、最近はどこをどう突付いても意味不明の体育祭になってしまったのではないすかね。
私が中学生の頃だったか、田舎の方にも国体というのが廻って来たことがあったのだが、その当時はほんといろんな形で練習や行進を強制されてかなりの時間を割いてこの国体競技というものに華を添えるお膳立てを学校単位でさせられていたのを覚えています。
中でも体育教師は猛張り切り状態で、中学生ながら「こいつらアホか?」と感じてました。
開催都道府県がいつも優勝するように設定され、天皇杯を授与されて、国体ごとにあっちこっちの都道府県を渡り歩く有力選手達。まるで中国の年齢詐称攻撃と瓜二つで。w
開催地の経済的人的負担もデカイし、ただ持ち回るためだけに行う様な競技など無いほうがいいに決まってるんではないでしょうかね。開催都道府県が必ず優勝数制度を拒否して普通に何もしなかった高知国体の記述が奮ってます。

2002年よさこい高知国体では橋本大二郎高知県知事(当時)がこうした慣例を廃した結果、開催県の高知県は10位にとどまり、男女ともに東京都が優勝した。しかし、このような事例は過去にこの回しかない。

これでいいのかね~?もうやめてしまえば余計な税金も使わんで済むのにね。

2011年2月19日土曜日

障害者と社会の関係・重い話か?

なんだか、この前日本では障害者自身が演ずる障害をネタにした漫才が滅茶苦茶面白かったという記事が出ていたのだが、どうにかして視る方法はないかなと探している。
「現実の社会で障害者がどうやって社会との接点を保っている」かという問い自体が不必要なものとなるような状況であればそれが理想的だと私自身は思っている。
実は私の一つ年下の弟が生まれたときに臍帯巻絡(要るするにへその緒が首に巻き付いていたんですね)という状況で出生したため、生まれつき脳性小児麻痺と重度の知的発達障害という状況だったわけです。私自身が小さな子供だった頃のことを思い出しても、親、特に父親は弟の障害のことをなかなか受け止めることが出来ず、あろうことか私の母に向かって「お前のせいだ」というような言葉を繰り返し吐いて大喧嘩になっていました。まあ、今の私がタイムマシンを持っていたら、その頃のオヤジの眼の前に現れて、幻の右を顔面ド真ん中に捩じ込んでいたのでしょうが、幼い自分にとってもそういう事で諍いになる親を見るのは辛いことでした。
弟は私にとって障害が有るか無いかなんちゅう事は全く関係なくただの弟で、障害を持っていると言うだけの事でしたが、両親にとってはきっと将来のことや色々な本人たちの考えもあって若さ故に容易には受け入れられない現実もあったのでしょう。(と、良い方に解釈していますが!)
普段の暮らしの中で、精神、身体、言語、その他の障害が有るとまるで腫れ物でも触るように「傷つけてはいけない、悪く言ってはいけない」なんて言う自主規制を始める人達が沢山居ます。見なかったことにするように顔を背ける人もいれば、過剰な同情を示す人も。
正直言って、こういう人達の大部分は悪い人達ではないのでしょう。多分に、こういった障害を持つ人間に接する機会の少なかった若しくは無かった人達なんだと思います。
皆健康だと思っている人達は忘れがちですが、いくら健康に見えても、一生の間にはその健康な人達が重度の障害者になる確率というのは結構高いものなのです。
例えば、脳血管障害による片麻痺、歩行障害、嚥下障害、記憶障害。事故による四肢の離断や麻痺。精神分裂病その他生活に支障をきたすレベルの欝や躁、痴呆などの精神障害、循環器系の障害による運動制限、視覚障害、聴覚障害、こういった障害を含めたらそれこそ数えだしたら限が無いというほど、我々の生涯の中で何らかの障害者になる確率というのが驚くほど高いというのは容易に理解していただけるかと思います。
こんな中で、障害とどう付き合っていくかと考えたとき、私のような人間は小さい頃から必然的にそれと日常の中で向き合うことになるわけですから、答えは自然と日常の行動で表すしか無いわけです。
私の答えは昔から実にシンプルで(頭の配線が単純なのでw)、障害自身もその人を表すキャラクターそのものと考えるものでした。
私の場合弟が何かおかしな事したらゲラゲラ笑うし、小さい頃は本気でつかみ合いの大喧嘩をしていました。一切お互い手抜きなし。だからといってそれが弟を差別しているかというと、そんな事は勿論、サラサラ無くて、差別の「さ」の字も有りません、というか意識さえしていません。ハンディキャップという英単語が示すように、ハンディを被せられているのなら、それを外した同じ土俵で生活すればいいわけで、同じ土俵の上に立っているのであれば、後は何をするにも普通です。
街を歩いているときに視覚障害があるのなら、杖とブロックを利用する人もいれば、盲導犬を使う人もいる、または介護の人と一緒に歩くのが良い人も居るわけです。独立自尊の気概をもって生きているのであれば、それを尊重し、街を歩く人達が特に意識するでもなく、息をするようにさりげなく補助ができるようになったら、それは日本という社会の本当の意味での成熟だと思います。
車椅子の人を助けるのも、街で階段を降りるのに困っているベビーカーのお母さんを助けるのも一緒。有難うとは言われても、それが当然のことだからそうするだけの話で、意識もせずに手を出す準備ができるようになったらきっと街の様子はもっと刺(とげ)が無くなるんじゃないかなと思うんですが、どんなもんでしょう。
社会の中には障害を持った人がたくさん居る、そして自分たちも「いつかは」、若しくは「いつでも」障害を持つリスクが有るという「常識」が備わっている人達ならいつでもそういった紳士淑女になれるとおもうんです。障害は人であれ何であれ、生きていれば誰にでもある確率で発生するし、(それが生来のものか後天的なものかはありますが)それを周りが自然と助けられればそれでいいと思います。
ただ、私は障害を助けるという点において、一部報道されるような親なんかは到底理解しがたいところがあるのです。その例が、二十四時間喀痰吸引をしなければならないような子を普通学級に通わせるというような類の親からのリクエスト。ハッキリ言いますけど、頭おかしいです。親が負けず嫌いだとか子どもが負けず嫌いだ、処遇の差別化は嫌だというのが根底にあるのはよく解りますけど、物理的に無理なことを重ねると、本人は勿論周りも疲弊していきます。形の違うパズルのピースはそこに嵌めてはいけないのです。幸いにして、日本は相当重度の障害があっても、それを延命させることの出来る技術と施設と人材が揃っています。
敢えて、そこを使用しないというのならそうしない根拠を示し、自分たちがそれを金銭的にも補うものでなければならないと私は障害を身内に持つものとして確信します。日本は少なくとも、金銭的にはかなりの確率でそのような負担をしなくて良いシステムがあるのですから、わざわざ全体に負荷をかけるような行動は誰からの賛同も得られないでしょう。
あんまりこの事を書き出すと際限なく個別に対応しなければいけない事例が出てきてしまうのでもう書きませんけど、障害があるからといってそれを特権であるかのように使えば当然社会には受け入れられないということです。ハンディは認め、それは出来うる限りその人のために社会がシステムとしてハンディを取り除く、しかし障害に甘えること無く生きていく道を障害者自身、若しくはその手助けをする側が模索するのも大事な仕事だと思います。
最後に一つだけ。
今の医学でどうしようも出来ないような障害を持つ人間をあからさまにあげつらうような連中は基本的に脳の質が子供のままか親に正しく育てられなかった可哀想な人達です。気の毒な彼らにこそ真の憐憫の情を!

障害は我が事なのです!

2011年2月18日金曜日

涙が出た


これがきょうWalmartのDVDレンタルシステムで借りたDVD。誰も家族の人間は興味を示さないと思ったので自分一人で観始めた。アメリカの教育改革の進まない理由がこれでもか、これでもかと見せつけられる。そしてその犠牲者は子供達以外の誰でも無いというしごく当然の帰結。しかし、何が教育改革を阻むのか?
戦後の歴代の大統領の殆ど全員が失敗してきた教育改革。その裏にあった真実は何と日本の病根とそっくりだった。日本は先進国中の共通教育テストでは常に良い位置を占めているとはいえ、(アメリカは23か国中20番)教育の機会均等というものの言葉が持つ、本来の意味が失われつつあるようだ。
アメリカの病根はアメリカの教師が組織する二大教職員組合から派生するものだった。内容はここでは詳述しない。もし日本語版が出たら是非見て欲しいと思う(多分ドメスティック過ぎてでないだろうが、英語のわかる人は字幕付きでもよいので是非とも観て欲しいと思う)。
ここアメリカでは、どんな糞教師でもそれを解雇することが恐ろしいほど困難なシステムが権利としてシステム化されており、その恐ろしく解雇が困難な教師を創りだすテニュア(要するに終身雇用という大学ではかなり獲得が困難な権利です。)というものにたった二年でなれるというお粗末なものなのだ。
どっかのアジアの東の端っこに有る国にも子供の為という嘘八百の自己正当化の欺瞞に満ちた言葉で自分達の職務を放棄した教師たちが居るではないですか。義務を果たさず権利を主張する人間たちがのさばったらどうなるか、どこの国でもその帰結は一緒なのでした。
最後のロタリーは同じ子を持つ親として涙なくしては見れませんでした。酷(むご)い。事態を変えていくには、親たちが立ち上がって行政の内部に居る理解者との協力を取り付けて、下から5%のレベルのダメ教師を「常に」排除していくことが第一のそして最大の武器になると思った。

スーパーマンはどこにも居ないのだ。

2011年2月17日木曜日

疲れました

今日は朝早くから新学部長を交え、研究所の教授陣だけで今後のinstituteの方針に関する検討会が開かれた。(一言で言って見通しが甘いと言うのが私なりの結論だが)取り敢えず私は学部長の方針説明の後に口を開いた幾人かの教授の考えを聞いていろいろな意味で鼻白む思いがした。まあ、余り此処に書いても意味ないのでオミット。
そのあと娘のパスポート更新の為にラボを飛び出した後郵便局へ大急ぎで直行。(アメリカでは郵便局でパスポートの申請をするのです。以前は郵送でもよかったような?あとで嫁さんに訂正されました。受け取りは郵便でした。娘の一番最初のパスポート申請の時には簡単に宣誓式を行ってから発券を依頼するので、強い印象が残っていたのですが。)
それも数分で終了した後今度は急いでBethesdaまで車を飛ばして実験に必要な細胞とDNAを取りに行った。しばらくは昔のPIと四方山話をした後に旧友とBethesdaへ出て外食。
二時間弱話し込んだ後、リッチモンドへ帰ってきた。細胞をインキュベータへ放り込んだ後家へ帰りついたのが11時半だった。

疲れた。

2011年2月16日水曜日

豹変する集団

日本人が海外でどんな行動パターンをとるのかということに関してはこっちに住みつくまでは全く知らなかったし、こちらに来ても日本人と交わる機会が子どもの学校で極稀にすれ違いざまに挨拶するくらいなので、ほぼ知識がない。
以前居たワシントンの日本人学校では日本人達がただ集まって行動するだけの場所だったので、現地の人間と日本人が交わって行動する場所を観察する機会に恵まれないのが今でも残念だ。
私の場合個人的に集団で行動するということをなるべく避けるタイプの人間なので、そういった点もこういう経験の欠如に繋がっているのだろうと思う。
何で集団行動が苦手かと訊かれても上手く答えられない。苦手というのは正確に言うと間違っているかな?実際は一緒には行動できるけれども、一人もしくは少人数(せいぜい三、四人まで)で居たほうがずっと気楽という方が正確か。
しかし、よく見ていると、普段一人ではおとなしい人達のほうが(国籍を問わず)集団を形成したときには傍若無人に振舞うような気がする。多分、集団になったときの周囲への圧力というようなものに関して気配りをする指導というのを小さな頃から受けてこなかったのだろうと思われる。
日本人、中国人、韓国人、ヒスパニック。アメリカ人でも日本の観光地で余り褒められたものではないが、「豹変ぶり」という意味では、私が知っいる限り、(狭い経験内ですが)これらの小集団より強力な豹変ぶりを示す人達はあまりいないような感じがする。
中でも最も強力に変化するように感じるのは中国人かな。アメリカで育った中国人はそんな感じは受けないけど、中国語で大声で話しながら集団で移動する中国人をアメリカで見ると「お~~!すげーな」と正直に感じます。
私の場合、それ以上は気にもしないので何とも無いんですけど、人によってはこういう集団が嫌いな人もいるだろうな。特に言わないけれど人種差別的な観念が心の底にある一部のアメリカ人にはきっと受けが悪いんだろうなと推測するのでした。(笑)
そう言えば、学会などに行っても日本人や中国人、韓国人は良くグループを形成しますね。テーブルを囲んでの折角の情報交換のチャンスなのに、何で帰ったら国内の学会でいくらでも話せるような連中とわざわざテーブルを囲んで内輪話に盛り上がるのかね?不思議です。

2011年2月15日火曜日

春一番か?

今日は朝から非常に強い風が吹き荒れていた。
何となく朝から「暖かい日だなー」位に感じていたのだが、通勤途上でも風の強さは収まる事無く夕方、そして夜まで吹き続けた。例年感じる春の訪れを知らせる春一番だった可能性が強いと思う。
この風が吹くと、暖かくなるスピードに加速度が付いてくる。グラウンドホグ・デーがカレンダー上の春の訪れだったように記憶しているが、実際は毎年この春一番が運んでくる春のほうが間違いなく「物理的な」春を運んできてくれるから嬉しいですね。
春一番は、日本に居たころも毎年確実にやってきてましたが、そういう意味でも地球の上で地続きの日本の風がここまで運ばれてきているようで何だか嬉しいものです。

2011年2月14日月曜日

バレンタインデー

一日前だけどバレンタイン・デーということで、家族全員を連れてShort Pumpというところにある、タイ料理店へ!
ついこの間名古屋からおいでのM先生を案内したところだが、美味しかったので再び家族をつれてくる機会を伺っていたところだったので丁度今日が都合が良かった。
6時に入る予約をしておいたので、5時50分に店に入り案内されたテーブルで家族五人で二種類のカレーと、パッタイと、タイ米を使ったシーフード・ライス等を食べる。
子どもが居る為にナカナカ激辛を頼むわけにもいかずちょっと甘みが強かったので、アメリカ風のタイ料理へと変更されてしまったきらいがあるが、まあ不味くもなかったから良いかな?
今度は別の本格タイ料理店に挑戦することとしよう。

アメリカのバレンタインデーの辛いところは、男性が女性に愛を告白する日ということで、日本の感覚とは逆なところです。これ、もしかしてアメリカの宝石会社が男に金を使わせるための戦略じゃないのかと真剣に疑ってるんですが、、、。
真相はどんなもんでしょう。

2011年2月13日日曜日

DEEP IMPACT

やられたやられた。
見事なまでの返り討ち。完全なゾーンディフェンスで我々を抑えこんだ。
最も我々が苦手とする戦い方をよく研究している。(当然だが。)
アウェイでの雪辱を見事に果たした格好になったOld Dominionは遂に我々の直下の順位まで上がってきた。
火曜日にはGeorge Masonとの対戦だが、このままでは勝ち目はなさそうだ。
嫁さんと私、二人ともがっくりして帰宅。溜息が二人とも止まらずお互いに溜息禁止令を出す情け無さ。w
特に今まで嫁さんはホームの試合で負ける瞬間を観たことがなかったので、ショックが大きいようでした。
ま、気をとり直していくしかないっす。
それにしても相手の35番Finneyは逸材だな、、、。巧い、速い、賢い、おまけにリーダーシップがある。
この男一人の差が勝負の差だった気がする。

2011年2月12日土曜日

サイエンスの欠如

トヨタの肩を持つ気はサラサラ無し。
半年以上前にもここで書いたトヨタ叩きに関する話
しかし、あの議会で証言したテネシーから来たディープサウスの訛り丸出しのインチキ女と政府がグルになった茶番は絶対に許せん。実際アメリカ人でも、このオバハンが恥知らずの大嘘つきだと考える人間は履いて捨てるほど居るんですが、先ずはこのおばさんの議会証言をもう一度見てみます。
真後ろに見えるのはGovernment Motorsの頭、三流役者のラフード長官。こいつも際限なく恥知らずな野郎ですが、最近の記事ではトヨタの電子制御系等には如何なる欠陥も証明されなかったことが証明され、言うに事欠いたこのおっさん、「娘から電話があり、トヨタのシエナを買おうとしてるんだけど?と言われ’検討すべきだ’と答えた」と言い繕うのを聞いて、ドコまで恥知らず?との念を強くしました。議会と政府で寄ってたかって実質的に反論の機会さえ奪われたトヨタをコーナーに追い詰めて、ボコボコにして更に蹴りを入れて唾まで吐いた後、税金使って自国の自動車産業を守り通したオバマ。
アメリカが正義の味方だというのを頭から信じてるのは一部の無知と田舎者だけ。子供でさえ賢い子は哂ってるよ。
最初の団塊から言えるのはマスコミと政府が一体になった証拠なしの魔女裁判。データが何も無いのに推測とこの馬鹿共の証言だけで「あたかもそれらが既定事実であるかのように」進んでいくこの手の話を誰も止めようともしない。もう飽き飽き。ほんと、どこの国もマスゴミも正義の味方する連中は消えて無くなれ。データのない話を決して信じない、データの正当性の裏打ちのないものを信じないという教育が無いとこんなことになるという、最低のポピュリズムの典型。
ワシントン・ポストが今頃になって「政府は責められるべきだ」なんて言ってるけど、誰がそんなマッチポンプ信じる?馬鹿も休み休み言え。
NASAによる徹底的なデータ解析で得られたこの結果、そのトヨタの汗の結晶であるデータを盗人猛々しく持ち去っていくのはGM(Government Motors)です。(笑)

嘘つきの百姓女に正義の鉄槌を

2011年2月10日木曜日

そら、勝てんわ!(笑)

名古屋で河村たかしと大村秀章が大差で大勝した。数日前の出来事も、落ち着いて振り返ると色々と面白い。
大差で勝つとは思ってたけど、ここまでいくかというくらいの大差。敗れた細川側の経歴は、ド田舎ならまず間違い無く泊という意味ではかなりのものだろうが、相手としては全くの役不足だったようだ。

確定得票(26日午後11時10分)は、河村氏514,514票、細川氏282,990票、太田氏73,640票、黒田氏7,335票。

ザ・選挙に記されている経歴を転記すると、
河村たかし(勝者)
一橋大学商学部卒、古紙リサイクル業。衆院選愛知1区から1990年に1回落選したのち、93年からに連続5回当選。民主党の国会Gメン座長、特殊法人等改革推進本部事務局長、税制調査会副会長などを歴任。
細川昌彦(敗者)
東京大学法学部卒、ハーバード・ビジネス・スクールAMP修了、通産省入省、米州課長、貿易管理部長、中部経済産業局長、日本貿易振興機構ニューヨーク・センター所長。日本鉄鋼連盟常務理事、中京大学経済学部教授。

そして哂ってしまうのが、この片山総務省のコメント。

トリプル投票は「邪道」…総務相、河村手法批判

読売新聞 2月8日(火)11時15分配信 片山総務相は8日の閣議後の記者会見で、愛知県で6日に知事選、名古屋市長選、同市議会解散の賛否を問う住民投票の投開票が同時に行われたことに関し、「市長が自分で辞めてまた出るなどして、いやが応でも関心をもり立てるのは邪道だ」と述べ、名古屋市の河村たかし市長の手法を批判した。
読めてない、、、読めてないよオッサン!世間の流れっちゅうもんが!これじゃ次の選挙にも絶対に勝つわけ無いし。(笑)
ほんでもって、もう一人空気の読めないフランケンシュタインがここに、、、。

岡田克也幹事長だ。自ら何度も名古屋入りし、「前回市長選で河村氏を推薦したが、不明を恥じている。減税は結構だが、財源もないのに言うのはただの人気取り」と、自分たちに向けられた言葉をまるパクリしたような批判をして失笑を買っている。愛知選出の民主党議員が悲鳴を上げる。(現代ビジネスより)
やっぱこの人も、人を束ねる器ではないですね。(笑)スキャンダルがないだけが取り柄の御曹司。それに、国会では訳のワカラン襟立服を着た土管、連4その他諸々の役不足キャラクター勢揃いの内閣が自分の一票の格差も論ぜず、自分達の公約した無駄遣いも解消せず、増税を大前提にした意味不明の子ども手当をばらまこうとするのだから、そら結果は誰の目に見えている。どいつもこいつも意味不明すぎ。税金払ってる人間より偉そうにしてる高給取りを今の日本のポピュリズムが許すはずがない。今後は地方議会の議員は世襲の徹底的な排除と議員報酬の劇的な低下へのうねりが出てくるのではないかと考える「若い」地方議員も増えてくるのではないだろうか。地方議会というのが数だけ揃えた役所行政への追認機関だとすれば、人数はもっともっと削減に向けて進むに違いない。その分、改革に前進する地方とそうでない地方の間では選挙という言葉の持つ意味自体が変わってくるんだろうな、と考える「今日の俺」でした。
これからは、シガラミの度合いが低下して、選挙民はもっと原理原則に厳しくなるんだろうな、、、。これだけ容易に大量の情報が選挙民に流れこむ時代には、そう簡単には利権政治が機能しなくなってくるのはかなり自然な流れなような気がする。

refinancing

ここ数日、種々の公式書類を掻き集めたり古いファイルをウェブからダウンロードすることにてんてこ舞いだ。それというのも、家のローンを組み替える時期が来たため。
最初に家を買ったときには7ARMという7年間はある一定の利率で払い続けるローンというのを組んでいました。そして今回その7年後というのがやってきたわけで、この次にどういう利率でどういうローンを組み替えるべきかというのがやってきたわけです。実際には、この7年間は低い利子でやってきて、次のローンのオファーも更に低いローンだったのですが、実際には一年更新のものであって、将来に亘ってその低利率が保証されるものではないので、その低い利率に誘われて勝負に出ると翌年の景気回復の波に乗ってドーンと上がった利率の時にローンを組もうとすると、顔面蒼白というような事態に陥る可能性があるわけです。
今回はある期間の固定利率でそれを組みました。この利率というのは市場金利に連動していますから、実際にはそのトレンドを見ながら決めるのがいいわけですけど、ここ数週間の金利上昇が急で、雇用状況の回復を如実に反映するようになってきていました。
本当は去年の秋口頃がベストだったんですけど、なかなかそう上手くはいかないものです。
現在のところこれから18ヶ月間は一切の手数料無しで、「万一」金利が大幅に低下した場合はそれに組み替えられるというオプション付きのローンに組み替えることにしました。
これが上手くいけばいいんですが。明日くらいまではもう少し準備しないといけない書類のリクエストがあるかも?
この手の交渉事では普段サイエンスでは使わない用語を大量に話さないといけないので電話とかで一時間以上、早口のローン・カンパニーの人と話してると、結構話し終わったあとで疲れてる自分に気づくのでした、、、。ま、こういうのは日本語で離しても疲れるのは一緒か。(笑)
ああ、こんな仕事絶対俺には向いてない。(じゃあ、サイエンスは?と問われると、、、。萎みそうですが。w)

2011年2月9日水曜日

OPERAの進化に驚いた!

一昨年の秋にFirebirdからChrome3にブラウザを乗り換えて以来試していなかったOperaブラウザを、今回Versionが11になったのを機に一度試してみることにした。
ヴァージョンが一つ上がっただけだが、その性能の様変わりには驚いた。実際多くのページでローディング時に見られたもたつきが解消されているのが最も印象的だった。
どんなに多くの小賢しい機能を詰め込んだところで、結局我々が最も日常的に気にかけるのはデータのローディングとその表示速度そのものだから、表示が早いというのは何にもましてブラウザの「正義」そのものなのだと思っている。
その意味で今回のバージョンの登場は素晴らしいと思う。細かい点で今使っているクロムには無いブラウザに付随したメールの設定機能があり、これは大いに役立つ。(何故かこのメールの設定機能隠れるように存在しており、多くの人は多分これに気づいていないんではないかと心配になるくらいだ。私も実際のところ検索して初めて見つけたくらいです。(笑))早速オペラもクロムと共に常時立ち上げておくことにしたところだ。細かい改良点はオペラのHPに解説してあるのでそちらに譲るが、今後もどしどし競争してもらいたいものだ。
私個人としてはブラウザが四つ五つ何時も競争してその性能アップに凌ぎを削るというのは良いことだと思う。競争のないところに改良は生まれない。あのマイクロソフトでさえウインドウズOSが近い将来に亘ってドミナントな状態であることが保証されているわけではなくなってきた。XP以降、バージョンが上がる度にOSの支配率が下がっているし、実際これからはAppleやGooogleの出すOSとの厳しい戦いが長い間続くだろうし、OS自体がウェブの中で存在が薄くなってしまっている。遠くない未来に、何でもブラウザの中で仕事が済む方向に向かって歩みが進んでいることは事実として既に間違いないことだと思う。


2011年2月8日火曜日

家族たちの夏休みのフライト

ちょっと気が早いと思われる方も居るかとは思うが、実は海外で生活をしていると、日本に夏休みに家族を送り込もうと思っている人間にとってはディスカウントチケットの争奪戦は既に始まっている。
現時点では航空各社の夏場のディスカウント運賃は公表されていないが、多分、あと二、三週間でそれが各社のウェブサイトに表示される。(例年のことです。)
しかし、それ以前にも、色々なアメリカのディスカウントチケットサイトを経由して調べることが出来、どれくらいの値段で税込の支払いをしなければいけないかがきちんとウェブサイトに表示されるのだ。この値段、時々刻々と変化しているのだが、嫁さんの実家のある長崎までの運賃を調べると、現時点では最安の路線を使っても、6月半ばにここを出て9月の頭に帰ってくるような「ゆとり」プランを選ぶと、$1400/(大人一人)位は出費することを覚悟しておかねばならない。DCと成田までの往復では税込みで$950前後で済むのだが、日本国内の運賃が馬鹿にならず、これに往復の$450ほどを加えておかねばならないのだ。
これでも、いわゆる「日本の夏休み」を避けたシーズンチケットであり、アメリカの夏休みが6月の半ばから始まり、9月の頭に始まることを考慮した価格なのだ。だから、もし日本の夏休みと重ねてしまうとこれに一人頭、最悪$400位突っ込まなければならないことになる。
取り敢えずそれは無しということで何とか済ませたい。
余談ですが、外交官なんかは家族込みでなんと「ファーストクラス」で帰ってきますので!あんなに役に立たない外交官達+その家族の面倒まで日本人は税金で見てあげているという頭に来る話をちょっとここに書いて今日はおしまい。
因みにこの方々んかかる我々の税金は東京DC間の往復で平日でさえ何と$1957500!約二万四千ドルでございます~~。怒る気にもならん。余裕で我々下々の人間二十人以上を往復させられる運賃をお一人様で消費されているわけですね。(笑

公僕とはよく言ったもんだ。

2011年2月7日月曜日

ではプロレスは、、、?

今日はいつものオムライスと合わせてもう一つ、麻婆豆腐を作ったのだが、意外と美味しかった。暖かいときは辛味が強かったかなとも思ったのだが、少し冷やしてみるとそうでもなくて、結構初挑戦のメニューにしては良かったかな(と思う)。
あんまり美味しそうには見えませんね。(笑)
昨日のブログに関して有る方からメールを頂きました。その中に「プロレスのことを八百長」だと御父上に話されたときに激怒されたという思い出を書かれていましたが、、、、まあ、この点に関しては改めてここに書くまでもないでしょう。
昔、北野たけしの本の中で、オヤジの菊次郎が早めに試合会場に行ったら馬場とデストロイヤーがキャッチボールをしていたと不思議そうな顔をしていたと書かれていたのが印象的でした。(笑)やはり、純粋に楽しんでいる熱狂的な一部のファンにとっては真偽を問う事自体が、「忌避されるべき」ことなんでしょうね。
なんか今年の相撲興行は全部中止になるとか?凄いことになったもんです。

2011年2月6日日曜日

子供が大人の世界を覗くと、、、(笑)

今回の八百長相撲騒動を観て再び大笑い。
相も変わらず、マスゴミ様が声を揃えて非難の大合唱ですか。俺は日本に住んでるマトモな成人男性なら「誰でも」相撲には八百長が付き物だということを知っていると思ってたんで、またぞろ自称・社会の木鐸様が正義を声高に語るのを見るにつけ、体中がむず痒くなってしまうのでした。(笑)
相撲は興行!それで終わりです。
警察も、マスゴミも、なんちゅう子供じみた悪者摘発キャンペーンをやっとるん?大人の世界と子供の世界は違うんでちゅよ~。知ってても知らないふり、知ってても問題にする必要のないこと、知らない方が良かったことなんて世の中には無限にあるわけで、何でもかんでも庭先をほじくり返せば事態が良くなるなんてもんでもないことが解らんのですかね。法律の網の目をいくら細かくしたところで犯罪人が無くならないのと一緒で、結局は社会を構成する人間の質が最大かつ最高の倫理の構成要素ではないんかな?相撲を国技とかいうのも何だか良くわからない話で、これってテキ屋と同じ昔からある興行に国家が変な箔をつけただけのもんでしかないでしょう。
簡単な解決法は変な補助金一切国が出さないようにすればいいだけのこと。そうすれば、人気も規模も妥当なところに必ず収束していきますがな。ガチで注射相撲を拒否して恐ろしく強い連中もいれば、当落線上でうろうろする力しか無いせいで賭けの対象として金で星を遣り取りをするしか無いしょうもない連中も居るわけで、、、。別に相撲取りが聖人君子である必要は全くないわけで、悪役を任ずる相撲取りが居ようと全く構わんわけですよ。要するにそれが嫌なら相撲なんぞ見なければいいわけですから、変に生徒指導みたいなことをするのはやめて、同時に補助金もやめて自然の流れに任せるべし。
国が補助金出してる事業でなんかまともに育ったものってあるか? 農業なんかダメダメのド最低の典型例ではないですか。自然選択と盛者必衰の法則を大きく歪めるようなことを繰り返してると、どんな領域のモノでも競争力が無くなるのは当然だと思うんですけどね。
大人気だった頃の昔の相撲ではイカサマがなくて、昨今の零落れ気味の相撲ではイカサマが有るなんてことをマトモにに信じているんだったら相撲なんて見ないほうが良いと思います。(笑)
なんどでも繰り返しますが相撲は伝統芸能と同じ興行です!おわり。知ってても知らない振りをする事が出来ない原理主義者様が増えると、西だろうが東側だろうが世の中は生きにくい。

2011年2月5日土曜日

Galaxy Tab

これは酷い。(笑)
昨日帰りしなにVerizonwirelessを覗いてきた。たまたまGalaxy Tabが置いてあったので、当然のようにiPadとの比較のつもりで触ってきたのだが、ほんま笑った。
なんて酷いインターフェースなんだろうw
もう、触ってて「これアルファ版ですか?」というくらい動きがカクカクしてるし、パッドはタッチしてることををかなりの頻度で無視するし、立ち上げたソフトウェアもインターフェースがメチャ解りにくい。そもそも、ソフトの立ち上がり自体が「私」得意の貧乏揺すりを誘発するほど遅い!
Galaxy Tabの返品率16%、かたやiPadの返品率2%以下というのも、何も疑うことなく納得できますなこれでは。ハイ。
 米調査会社ITG Investment Researchは先に、米国の携帯電話販売店6000店を調査した結果、Galaxy Tabの返品率は16%に上ることが分かったと発表した。これに対し、AppleのiPadの返品率は2%という。
だいたいこんなタブを買うという行為自体が信じられない。きっとiPad触ったことがないんだろうと思える。それとも、flashが動くからか??
なんかstreak7という他のandroid tabが酷いから買うならGalaxy tabにせい、という記事があったが、その推薦している方のGalaxy tabでこれって、、、。どんだけstreak7が酷いのか、怖いもの見たさで一度見てみたいものです。(笑)
娘のdroid2触ってみて、まあ、これで99ドルなら玩具としては取り敢えず良いかもね、位には思っていましたが、タブレットのほうがこんな酷いことになっていたとは、、、。ようこんなもんもの売り物として市場に出したと我ながらsamsungの大胆さには驚き。スピードが勝負!っていういつものサムスン魂ですか?(笑)よっぽど焦ってたんだろうけど、大概にしないとね、、、。あんまり阿漕な商売はするなよ!次期タブ用アンドロイドHoneycombで、少し位は改善しなかったら、タブコンピューターでのアンドロイドの運命はかなりやばいよな~と一人感じたのでした。
そういう訳で、多分googleは死に物狂いで改善してくるだろうな。
これだけ酷いんだから。

2011年2月4日金曜日

納税の季節でござる

確定申告真っ只中のアメリカです。
以前にも納税のことについて手短に記したり日本とアメリカの比較に関して書きましたが、まあ確定申告はアメリカでは毎年の国民的行事ということでまた書きたいと思います。
テレビやラジオではこの季節、税申告に関わる色々な会社の広告がワンサカ出てきます。大きなところではH&R BlockとかLiberty Taxとか聞きますし、Liberty Taxなんかは通勤途上で自由の女神の着ぐるみを被った人が寒空のもと手を振り続けているのをよく見ます。(寒いんだから時給上げてやれよ
~!)
また他にも個人事業主とか、会社組織になってくると、懇意にしている会計事務所さんとか、税理士さんが数人集まってオフィスを開いている近所の事務所にお願いして一括処理してもらう人達も沢山いるわけです。
私の場合は、Turbotaxという完全ウェブベースのプログラムでの処理に頼っています。何と言っても収入源はごく限られていますし、低所得者ですから(笑)、あんまり事業主のように記入することもなく、必要な書類の準備(基本的にはW-2というフォームと持ち家のモーゲージで払った金利や手数料を示すフォーム1098および、雀の涙ほどの銀行から受け取った金利が記された葉書、及びその年に寄付したものやお金の記録)さえ終わっていれば色々と説明部分を巡回しながらでも数時間で済んでしまうものなのです。おまけに終了と同時に、連邦(federal)から幾ら、州(stete)から幾ら返ってくるというのが示されて、それをeFileというシステムで提出すると約数日で銀行にそのお金が振り込まれてくる仕組みになっています。
もしかしたらチョビっと損したりしてるのがあるかも?とか思ったりもするのですが、まあ、大した差ではあるまいと考えてこれで良しとしています。
今年もこの作業をエッチラオッチラ、ゴソゴソとやっていて、先週無事に終了しました。このシステムには40ドル程度の追加金を払うことで、万一ファイリングに間違いがあったとしてもIRS(米国歳入庁)という恐ろしいところと直接渡り合わずとも、turbotaxのほうで責任持って激論を交わしてくれることになっているので取り敢えずは安心です。(たしかに二年ほど前ちょっとだけ訂正を指摘されたことがありましたが、私が前面に出る必要はなかったですね。)
10年程前、メリーランドに居るときに聞いた話なのですが、「個人で税理士事務所を開くだけの才覚のあるような人はIRSには勤めないので、何時IRSが来ても、通常は容易に税理士事務所側がIRSを追い払ってしまうんで、逆にIRSのの人が気の毒です」というような話を聞いたことがありました。
どこまで本当かは別として、近所のIRSに質問があって足を運んだ時に係の人が私の質問に答えきれなかったことがあったので、もしかしたらそういう事も有るんかも知れんな~などと考えたものです。
取り敢えず、納税は社会人の義務!!脱税する輩納税出来るのに納税しない連中は刑務所行くか、道の端っこ歩け!。(笑)こうやってインフラを整えたり、社会の弱者を助けたりするんだからそれが出来ない連中は社会の構成員としては半人前という自覚を持っていただきましょう。